カテゴリ:ひとりごと( 123 )
混雑した昼飯時の定食屋などで、すっかり食事は終わっているのにおしゃべりに夢中で、後ろで並んで席が空くのを待っている人がいるのも気がつかない、あるいは気づいていても全然平気という、まるでヤクザのような振る舞いをするのは女性の特権(?)と思ってきましたが、昨今は男性でもする「嗜み」のように見受けられます。
スマホの画面に夢中で、現在どのくらいの混雑ぶりなのかも分かっていない、鈍感な若い男が多くなったような気がするのです。どうせ、ろくでもないサイトでも見ているんでしょうけど(失敬)、そういう輩は決まって、細身の、今風のスーツを身にまとい、肘を立て、足を組んで、アホみたいな顔をして(重ね重ね失敬です)スマホの画面と睨めっこしています。
だいたいズボンの丈は短く、中にはスーツスタイルにはあるまじき、くるぶしまでのスニーカーソックスなど履いて、みっともないすね毛をご披露されていたりします。
……あっ、細身のスーツなど着ることができなくて、やっかんでいるわけではありません。
ランチタイムの混雑はほんの一瞬で、それでもお客様を待たせたりしたらいけないと、マックスのバイトさんを確保して、お店は頑張っているものです。
だからお店にとっては、ランチタイムは「回転率」が命なのです。
気の小さい私などは、このくらいの客数で、このくらいの客単価で、このくらいの従業員を配しているのだから、このくらいの売り上げがないとやっていけないだろうなどと、余計な心配ばかりしてしまうのですが、アホスーツの面々はそんなことお構いなし。
どうせろくでもない仕事しかしてないんだろうな、なんて思ってしまったりします。
……ごめんなさい、暑い日が続き過ぎて、言葉のオブラートさえ脱ぎ捨ててしまっております、私。
結局、昨今の若者は「配慮」というものが欠如してるんだな、と思わざるを得ません。
先日など、私の隣のテーブルで散々長居をして(だって私が席に着いたときにはすでに食事を終えてスマホに夢中になっていたのですから)、やっと腰を上げてレジに向かった若い男性が、テーブルとテーブルの狭い隙間でなぜか立ち止まり、私に尻を向けたまま、しばらくフリーズなさったのでした。
そのとき私は食事の真っ最中。どうして私が訳の分からぬ男のケツを愛でながら食事をしなくてはならないのでしょうか。
さすがに腹が立って、その男のケツをバンバン叩き、「早く行けよ」と声を荒げてしまいました。
全然悪びれた様子もなく、「あ、ああ」とか言いながらその場を離れましたがね、若者は。
「ああ、じゃねえだろ、すみません、だろ」とまた頭に来て、社に戻る途中、アイスクリームなど買ってしまった私なのでした(わけわからんけど)。
かつてのベストセラー「鈍感力」は、小さいことにくよくよせず、常に前を向いて生きていくことが大切、という内容だったと思いますが、だからと言って「鈍感な人が世の中を制する。鈍感力を身につけましょう」と言っているのではないと思います。昨今の、物怖じせずにグローバルな活躍を見せてくれる若者は前者の方で、決して定食屋でバカみたいにスマホをいじってはいないと思いますがね。
東日本大震災の時の日本人の冷静な態度、サッカーワールドカップの時のゴミをきちんと片付ける姿など、そうした姿勢が世界から賞賛された日本人の配慮だったのですがね、これから先は、近隣の某国のように、他人のことなど一切関係ない、自分さえよければいい、というのが当たり前の国に成り下がってしまうのではと、心配もしてしまいます。
まあ、我々おじさんは、昭和歌謡の流れるこういう場所で、しみじみ世を憂うのが一番。生産性もないし(苦笑)、高らかに物を言う権利もなく、さっと呑んでさっと家に帰ることにいたしましょう。
「どうしてこんなに、オレは……」と、3ヶ月に一度くらいは確実に、己の不器用さを嘆く夜を過ごしている私なのですが、世の中、広いもので、こんな私が唖然としてしまうくらいの不器用っぷりを披露してしまう方に、時々お目にかかります。
あっ、ここで私が言っているのは、なんというか、「生き方」が不器用な人、ということです(その代表格が自分であるということはさておいて)。
手先が器用でも、どんなにカラオケが上手でも、それは関係ありません。
決してできない人ではないのに、どうしてそういうことになっちゃうんだろう、と思わざるを得ない、残念な不器用さんが、中年以上の、特に男性に多かったりするのです。
一言で言うと、鎧で武装するあまり、肝心なことを知ることができない、見ることができないという「不器用」な人(全然一言ではないのですが)。
若い頃はそれなりに、目を輝かせながら、いろんなものを吸収してきた人生だったのでしょう。
だからある程度の知識は持ち、スキルも築き上げ、自信もあったのだと思います。
しかし、世の中はどんどん進化し、変わっていきます。
普通なら、変化に対して取り入れる、取り入れない関係なく、常にアンテナを張りめぐらし、時代の波というものに対応していくのが、これからも第一線で生きていこうとする者の務めだと思うのです。
この先はずっと山籠りでもして、誰にも会わずに生きていこうとするのなら話は別ですが。
いや、覚える、覚えないの取捨選択はともかく、新しいものに限らず、自分が生きていく環境を変えたのなら、まずその環境に順応していくことが、自身に訪れた最初の、最低限の課題だと思うのです。
しかし、昔取った杵柄が忘れられず、新しい環境でも頑なにどしん、と佇んでいるだけの姿は、愚かだなあ、憐れだなあと思わざるを得ません。
そればかりか、変なプライドが邪魔をして、知らない、できないと言うことができず、そのためにどんどん深みにはまって、「愚か」どころか、「役立たず」などというレッテルまで貼られてしまう始末なのです。
最近、身近にそのような方を拝見して、気の毒だなあ、憐れだなあと思っていたところでした。
まあ、私も「不器用界」の片隅で、常にハアハアゼイゼイしている身ですから、こういう案件こそ、反面教師としていかなくてはならないのですがね。
ただ、結構長く生きてきちゃった自身の人生において、私が処世術として身につけたのは、「知らない、分からないことについて、絶対に分かったふりはしない」ということです。
これだけは自信を持って言えます(自信満々で言うことではないですが)。
そりゃ、えっ、そんなことも知らないの? と思われ、馬鹿にされてしまったりもあるでしょう。
しかし、私が詳しく知っていて相手が不案内ということもあるのです(昔話とか70年代アイドルとか大衆酒場事情ぐらいですが)。なんでも知ってるのは林先生クラスにもならない限りあり得ないのですから(それでも初耳があるのですから)、知らないことは恥ずかしいことではないのです。
恥ずかしいのは、知らないことを知っている振りをすること、そして、知らないままに時間を過ごし、後に引けない状態になってしまうことなのです。
そんなこと、当の本人に言うこともできず、言ったところで憮然とされるだけでしょうから、ここでこっそり、書かせていただきました。
頑張ってほしいものです。
まあ、不器用な人も、そうでない人も、これからの人生に幸あれ!です。
いろんなことを勉強し、身につけて、心豊かな人生を送っていきたいものです。
写真の内容については相変わらずで、あまり成長はありませんが(苦笑)。

大衆酒場という安普請の造りだけあって(失敬)、友人が不安定なテーブルに手をついた途端、ガクンとテーブルが傾き、思いっきりビールをぶちまけてしまったのです。
ビールは、ちょうどテーブルに置いていた私のデジカメめがけて一直線。慌てて水気を拭き取ってみたものの、それから電源を入れてみても、デジカメはうんともすんとも言わず。
ちょっとビールをかぶっただけなのに、あっという間に御臨終です。
友人は申し訳なさそうに「ゴメンゴメン」を繰り返すのですが、まあ、これは事故みたいなもので、誰のせいでもありません。友人を責めるわけにはいきません。
もしかしたら、水分が飛んだら復活してくれるかもしれないと、そのときは「いいよいいよ」と、悠長に構えていたのですが……。
一週間経っても、二週間経っても、デジカメさんは動く素振りすら見せてくれません。これは本格的に、黄泉の国へと旅立ってしまったようです。
まあ、もともと貰い物のデジカメだしなあ、それに昨今はスマホのカメラも結構素晴らしい写真が撮れるし、それでいいか……と思っていたのですが……。
ビールをぶちまけてしまった友人が心配して、「デジカメ復活した? もしダメなら、自分が持ってる古いデジカメがあるんだけど、それ、あげようか?」と言ってくれたのです。
「んー、いい人だ」と、喜んでその御心をいただくことにしたのでした。
新しい、お古の(ややこしい)デジカメは、画質等、ややグレードは劣るものの、まあ、ブログにアップする程度なら文句言えず使うことはできます。
これで田舎の同級会やら年賀状用の写真を撮って、うん、まあ使えるだろう、と普段の生活に戻った私でしたが。
ある日、壊れたデジカメが、もしかしたらいまごろになって動くかも、というか動いちゃったりしてね〜、という軽い気持ちで、また電源を入れてみたところ。
なんと、黄泉の国から復活して、デジカメさんは正常に動いたのです。
さすがに日付等のセッティングは初期化されていましたが、以前撮った友人の還暦祝いの(笑)はっちゃけた写真、それから事件当日、赤羽の大衆酒場で撮った美味しい煮込みの写真、全て再びその御尊顔を拝むことができたのでした。
とりあえずよかった。
しかし、こうしてデジカメが復活したのですから、友人にちゃんとそれを告白しなくては、私は「壊れた壊れた」と騒いで、まんまと新しいお古の(ややこしい)デジカメをせしめた詐欺男になりかねません。
まあ、友人もその話を聞いて安堵し、「ああよかった、まあ、あげたのは古いデジカメだし、そのまま使っていいよ〜」と言ってくれるに、違いないと思ったのですが……。
「あっ、そう? じゃあ上げたデジカメ、返してくれる?」
友人はあっさりと、そう宣ったのでありました。
まあ、そうだよな。それが普通だよな、とは思ったのですが、もう、その新しいお古の(ややこしい)デジカメさんとも友好関係を結び、使いこなせるようになった矢先でしたから、いいじゃん、一度くださったものなんだから返せなんて言わなくっても……という気持ちもなかったわけではありませんでした。
でも、仕方ありません。いただいた新しいお古の(ややこしい)デジカメを再び初期化して、友人に返却しようと準備をしていたところ……。
なんと、また、水をかぶったデジカメさんが再びうんともすんとも言わなくなってしまったのでした。
いったいどういうことなのでしょう。
これは、新しいお古の(ややこしい)デジカメさんが、友人の元に帰ることを拒否しているかのように受け取れました。
って、考え過ぎなのですがね。
どうしたらいいものか、悩む年の瀬です。
「壊れた詐欺」と「あげるあげる詐欺」の攻防は、年を越しそうな様相を呈しているのであります。
っていうか、アンタ、もう新しいデジカメを買いなさい、って話なのですがね。