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編集王子

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カテゴリ:ひとりごと( 123 )

いつも、見るたびにモヤモヤっとした、なんだか釈然としない思いが駆け巡る物件があるのですが……。

それは転職サイト(でいいのかな)「ビズリーチ」のCM。

まあ、ずいぶん前から流れて、手垢もつきまくった物件ではあると思うのですが、とりあえずぶちまけておかないと、すっきりと年を越せない気がしまして……。
ちょっと大袈裟か。

まずこのCMは、どの辺りに対して訴えかけているのだろうという疑問が湧いてきます。

多分、求人を掲載する会社がビズリーチにお金を払うと思うので、このCMは企業に対してのものだと思います。

「ビズリーチには優秀な求職者がわんさかわんさか。さあ、そこの企業さん!ぜひとも当サイトに求人を!」と考えるのが普通だと思います。

しかし、その「優秀な求職者」というのはビズリーチが生産するわけではありません。
ビズリーチがいろいろな企業を回り、イカした人材を根こそぎ引っ捕まえて「さあ、いかが?企業さん」とやっているわけではありません。
あくまでも、求職者が自らビズリーチの扉を叩き、「おい、なんとかしてくれ!仕事をよこせ」とすがっているのです。
だからいい人材がいるかどうかなんて、そんなの求職者次第、なのです。

まあ、転職を希望する方も様々でしょう。なかには、バリバリ仕事をこなし、信頼され、今の仕事に不満はないが、よりキャリアアップするために会社を変えたい、なんていう優秀な方もいらっしゃると思います。

しかし、そんなバリバリと仕事をしてきた方には、転職サイトに頼らなくても、他の企業から直接オファーがあったり、あるいは辞められたら困ると、現会社が必死に引き止めようとするのではないでしょうか。

だから、CMのように、社長さんが「えっ、こんなキャリアが!」とか言いながら履歴書をめくらせるような人材は、なかなか集まらないと思うのです。
(ちなみに履歴書に嘘八百を並べるのをなんとも思わない人もいる、ということも付け加えておきます。今まで2人ほどそういう輩を見たことがあります)

これについては、このサイトの兄弟版(?)「キャリトレ」にも感じることができます。
「二十代でこんな経験を!」なんて履歴書を見ながら、ビズリーチではドヤ顔で指を立てていた姉ちゃんが驚いていますが、若いのにそんな素晴らしい経験をしてきた二十代が、おいそれと転職などしないのではないかと思うのです。

それに、会社の規模にもよるでしょうが、若いうちから会社の業績を左右するようなプロジェクトを任せるなんて、まず考えられません。
「ワタクシ、優秀でございますよ」と、堂々とこのサイトにエントリーしてくる若手、というのも、図々しくて、かえって世間知らずなのではないかなんて、私は思ってしまいますがね。
そんなヤツが会社に入ってきたら私、いじめちゃうかもしれません(笑)。

だから、この姉ちゃんは、大学時代にヒッチハイクで世界一周したとか、大食い選手権で優勝したとかいう「キャリア」に対して驚いているんだな、と思うようにしていますが(笑)。

どちらにしてもこのCM、コンセプトとしても、見る側の心情をざわつかせるという点からしても、あんまり成功しているとは言えないような気がします。
CMはずっと同じパターンで続いているので、業績は伸びているのかもしれませんがね。

この手の、転職サイトのCMは他にもたくさんありますが、着ぐるみ着て何か面白そうなこと言ったり、リアルな求職者の姿をほっこりとした演出で見せてくれた方が、印象はいいな、と私は思います。

あと、これからの時代のためにも、もちろん私のためにも、シルバー世代の求人情報をもっと充実してほしいなあなんて思っていますがね。
人材不足なんて言われていますが、不足しているのではなく、発掘してないだけなんじゃないの、なんて思いますが、どうなんでしょう。

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さてさて、今年もあと1カ月ちょっとです(いきなり話は変わりますが)。
あん肝も美味しい季節になりました。
忘年会も予約して、年賀状も買わなくては……。
いつものことを、いつものようにこなせる幸せを感じなくてはいけませんね。
悩みは多いが、頑張りましょう。

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by yochy-1962 | 2018-11-23 10:25 | ひとりごと | Trackback | Comments(0)
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健康維持のため、そしていつまでもこの美しさを保つため(笑。私を殴りたいですか)、私は毎日、ヤクルトカロリーハーフを愛飲しています。

乳酸菌飲料は星の数ほどあれど、どうも私はヤクルトさんと相性がいいようです。
腸内の「細菌地図」は3歳で決まるといわれているようです。小さい頃身体が弱かった私は、親から毎日ヤクルトだのビオフェルミンだの飲まされてきたので(バナナを半分も食べさせてもらえなかったウチの兄貴にとっては、この過剰とも言える 待遇について、今でも恨みたっぷりに言ってきます)、きっと私の腸内にはヤクト菌と相性がいいのだと思います。
ヤクルトさえ飲んでいればいつもスッキリ。その割には相変わらずのふっくらさんですが、まあ、これは別の理由があるとして、さらに健康維持のための方法を模索していかなくてはなりません。

……って、言いたいのはそういうことではなくて。

いつも行くスーパーでは、ヤクルトカロリーハーフ5本セットで199円というお値段です。
しかし、ヤクルトは子どもから大人までが愛飲する飲み物。そんなご家族のために10本セットというお徳用があるのですが……。

これが、399円というお値段なのです。

……おかしくありませんか?
ってことは、ヤクルト5本入りパックを2つ買えば398円。しかし10本入りセットは399円。
たった1円の違いですが、いや、普通は5本入りより10本入りの方がお値打ち感を出さなくてはならないのではないでしょうか。

買い物客は新聞のチラシを暗記するほどに凝視し、戦場に行くかの如き険しい顔をしてスーパーに駆け込むのです。そこでは、1円でも高いものを買ったら即ち負け。敗戦国です(私はよく、半額のシールが貼られたお惣菜を薄給リーマンと争って負けています)。そこでこの、1円の矛盾について気がつかないはずはないというものなのです。

この「たった1円の不条理」について、店員さんにでも聞いてみようかと思ったりもするのですが、ただでさえ大忙し、てんてこ舞い状態の店員さんに、いちゃもんみたいな物言いをするのもなんだかなあと、いまのところ取材はできていないのですがね。

まあ、文句があるのならお前は5本入り199円を買っておけばよろしい、って話なんですがね。

もうひとつ、とある定食屋さんでの話なのですが。
私は、自他共に認める、「カツ丼大好き美少年」として知れ渡っているのですが(殴りたいですか私を)、カツ丼といってもいろいろ。
どんなに頑張っても噛み切れないような、ひどい肉を平気で差し出すような店もあれば(個人店の蕎麦屋にありがちですね)、そこそこお高いところだというのに、イマイチ味付けが自分に合わないなあ、というお店もあります。

で、その定食屋のカツ丼は、肉の質はそこそこ、なのですが、まあ噛み切れないということはなく、甘過ぎず、辛過ぎずのちょうどいい味付け、そしてなんといっても580円(味噌汁付き)というリーズナブルなお値段が気に入って、カツ丼が食べたくなったらここ、と決めている店でもあります。

で、ある日私は、メニューに「カツ丼、ミニうどんセット780円」なんていう宝石のような言葉を発見するのでした。

カツ丼にミニうどん。素敵です。
ちょっとでも食べ過ぎると、最近は胃がキリキリ痛み出し七転八倒の真夜中を過ごす私にとって、食べ放題なんてもってのほか、十分気をつけなくてはならなくなったのですが(情けないっす)、まあ、体調さえ良ければ、カツ丼にミニうどんというわがままメニューも可、です。
しっかりいただいて午後のパワーにつなげようと思うわけです。

……って、言いたいのはこれでもなくて。

カツ丼とミニうどんのセットは780円。しかしそのセットには「味噌汁」はついていません。うどんのお汁を味噌汁がわりにせよ、ということなのでしょう。

ミニうどんは単品でオーダーしても200円です。ということは、580円のカツ丼との組み合わせで780円。セットだからといってお得になっているわけではないのです。
だというのに「セット」でオーダーすると味噌汁が省かれてしまうとは……。
お得なセット、ではなくて、損するセット、なのではないでしょうか。

一応、店員さんに聞いてみました。
「味噌汁はついてないんですか」
「ええ。うどんのセットではついてないんですよ。お味噌汁は単品で50円かかりますが、いかがいたしましょうか」

まあ、味噌汁が飲みたくて飲みたくて仕方がない、というほどではなかったのでそれは辞退したのですが……。

いや、ちょっと待てよ。カツ丼を単品で頼んで、味噌汁付きのカツ丼が来たところで、思い出したように「あっ、ミニうどんもください」なんてオーダーをしたらどうなるのでしょう。
その時点で味噌汁は下げられてしまうのでしょうか。それとも、そういうオーダーをする客を懲らしめるために、特別ルールで値段が高くなってしまったりするのでしょうか。

次に行ったらぜひ試してみたい、なんて思っているうちにその店は閉店してしまったので、答えは分からなかったのですがね。

まあいいか。1円だとか50円だとか、小さなことです。
消費税が10%になり、こんな細かいことも吹っ飛ぶくらいの金額を、国から理不尽に取られるわけですからね。
一切景気はよくなった気配もなく、豊かになった自覚もないのにね。
浮世離れした方ばかりが政治にたずさわってるんだから仕方がないですけどね。

って、支離滅裂な終わり方でゴメンネゴメンネ〜。

(あっ、写真は資料画像ですよう)

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by yochy-1962 | 2018-11-08 21:30 | ひとりごと | Trackback | Comments(0)
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ひっそりと九月を過ごし、ひとつ歳を重ねたわけなのであります。

もうこの年代になると、誕生日だからと言って大騒ぎするわけではなく、肉親からもガン無視され(苦笑。こないだの姉貴の誕生日にはちゃんとメッセージ送ったんだけどな)、会社の人には誕生日の申告もしていないのでなんのコメントもなく、結果、いつもの毎日と同じ一日を終えるのがここ数年の私です。

まあ、真っ当な、実り豊かな人生を歩んできた方々は全く違うんでしょうがね。どこでどうしてこういう人生を歩んでしまったのか、どの辺あたりまでさかのぼればそのターニングポイントを発見できるのか、などと思ったりもします。

しかし、ひとつ言えることは、自分は他人と同じことができないのではなく、することが嫌だったということです(と、言い聞かせているのです)。
まあ、大きな川の流れから抗うように、その先のことも考えずに岸辺に這い出たのはいいものの、ここから先どうやって進めばいいのか分からずに呆然としているのが、いまの私の状態なのかもしれませんが。

……そこまで卑下しなくてもいいか(苦笑)。

それでも、傷を舐め合う(笑)友人からはおめでとうのメッセージをいただき、誕生日が近い友人たちと集まって乾杯もいたしました。
十分幸せ者です。感謝です。

ただ淋しいのは、毎年誕生日になるとハムやらソーセージやらをプレゼントしてくれた、1月に亡くなった私の親友からは、もう何もいただくことはなくなってしまったことです。

仕方がないので、今年は自分へのプレゼントとして、自分で購入。
こういう類のものって、ほとんど買ったことがなかったんですが、意外と高価なんですね。だからお安いやつを。

台風が心配ですが、こうやって私の、平成最後の九月は終わっていくのでした。

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by yochy-1962 | 2018-09-30 17:50 | ひとりごと | Trackback | Comments(2)

混雑した昼飯時の定食屋などで、すっかり食事は終わっているのにおしゃべりに夢中で、後ろで並んで席が空くのを待っている人がいるのも気がつかない、あるいは気づいていても全然平気という、まるでヤクザのような振る舞いをするのは女性の特権(?)と思ってきましたが、昨今は男性でもする「嗜み」のように見受けられます。


スマホの画面に夢中で、現在どのくらいの混雑ぶりなのかも分かっていない、鈍感な若い男が多くなったような気がするのです。どうせ、ろくでもないサイトでも見ているんでしょうけど(失敬)、そういう輩は決まって、細身の、今風のスーツを身にまとい、肘を立て、足を組んで、アホみたいな顔をして(重ね重ね失敬です)スマホの画面と睨めっこしています。

だいたいズボンの丈は短く、中にはスーツスタイルにはあるまじき、くるぶしまでのスニーカーソックスなど履いて、みっともないすね毛をご披露されていたりします。


……あっ、細身のスーツなど着ることができなくて、やっかんでいるわけではありません。


ランチタイムの混雑はほんの一瞬で、それでもお客様を待たせたりしたらいけないと、マックスのバイトさんを確保して、お店は頑張っているものです。

だからお店にとっては、ランチタイムは「回転率」が命なのです。 

気の小さい私などは、このくらいの客数で、このくらいの客単価で、このくらいの従業員を配しているのだから、このくらいの売り上げがないとやっていけないだろうなどと、余計な心配ばかりしてしまうのですが、アホスーツの面々はそんなことお構いなし。

どうせろくでもない仕事しかしてないんだろうな、なんて思ってしまったりします。


……ごめんなさい、暑い日が続き過ぎて、言葉のオブラートさえ脱ぎ捨ててしまっております、私。


結局、昨今の若者は「配慮」というものが欠如してるんだな、と思わざるを得ません。


先日など、私の隣のテーブルで散々長居をして(だって私が席に着いたときにはすでに食事を終えてスマホに夢中になっていたのですから)、やっと腰を上げてレジに向かった若い男性が、テーブルとテーブルの狭い隙間でなぜか立ち止まり、私に尻を向けたまま、しばらくフリーズなさったのでした。

そのとき私は食事の真っ最中。どうして私が訳の分からぬ男のケツを愛でながら食事をしなくてはならないのでしょうか。

さすがに腹が立って、その男のケツをバンバン叩き、「早く行けよ」と声を荒げてしまいました。


全然悪びれた様子もなく、「あ、ああ」とか言いながらその場を離れましたがね、若者は。

「ああ、じゃねえだろ、すみません、だろ」とまた頭に来て、社に戻る途中、アイスクリームなど買ってしまった私なのでした(わけわからんけど)。


かつてのベストセラー「鈍感力」は、小さいことにくよくよせず、常に前を向いて生きていくことが大切、という内容だったと思いますが、だからと言って「鈍感な人が世の中を制する。鈍感力を身につけましょう」と言っているのではないと思います。昨今の、物怖じせずにグローバルな活躍を見せてくれる若者は前者の方で、決して定食屋でバカみたいにスマホをいじってはいないと思いますがね。


東日本大震災の時の日本人の冷静な態度、サッカーワールドカップの時のゴミをきちんと片付ける姿など、そうした姿勢が世界から賞賛された日本人の配慮だったのですがね、これから先は、近隣の某国のように、他人のことなど一切関係ない、自分さえよければいい、というのが当たり前の国に成り下がってしまうのではと、心配もしてしまいます。


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まあ、我々おじさんは、昭和歌謡の流れるこういう場所で、しみじみ世を憂うのが一番。生産性もないし(苦笑)、高らかに物を言う権利もなく、さっと呑んでさっと家に帰ることにいたしましょう。


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by yochy-1962 | 2018-08-05 22:10 | ひとりごと | Trackback | Comments(4)

「どうしてこんなに、オレは……」と、3ヶ月に一度くらいは確実に、己の不器用さを嘆く夜を過ごしている私なのですが、世の中、広いもので、こんな私が唖然としてしまうくらいの不器用っぷりを披露してしまう方に、時々お目にかかります。


あっ、ここで私が言っているのは、なんというか、「生き方」が不器用な人、ということです(その代表格が自分であるということはさておいて)。

手先が器用でも、どんなにカラオケが上手でも、それは関係ありません。

決してできない人ではないのに、どうしてそういうことになっちゃうんだろう、と思わざるを得ない、残念な不器用さんが、中年以上の、特に男性に多かったりするのです。


一言で言うと、鎧で武装するあまり、肝心なことを知ることができない、見ることができないという「不器用」な人(全然一言ではないのですが)。


若い頃はそれなりに、目を輝かせながら、いろんなものを吸収してきた人生だったのでしょう。

だからある程度の知識は持ち、スキルも築き上げ、自信もあったのだと思います。


しかし、世の中はどんどん進化し、変わっていきます。

普通なら、変化に対して取り入れる、取り入れない関係なく、常にアンテナを張りめぐらし、時代の波というものに対応していくのが、これからも第一線で生きていこうとする者の務めだと思うのです。

この先はずっと山籠りでもして、誰にも会わずに生きていこうとするのなら話は別ですが。


いや、覚える、覚えないの取捨選択はともかく、新しいものに限らず、自分が生きていく環境を変えたのなら、まずその環境に順応していくことが、自身に訪れた最初の、最低限の課題だと思うのです。


しかし、昔取った杵柄が忘れられず、新しい環境でも頑なにどしん、と佇んでいるだけの姿は、愚かだなあ、憐れだなあと思わざるを得ません。


そればかりか、変なプライドが邪魔をして、知らない、できないと言うことができず、そのためにどんどん深みにはまって、「愚か」どころか、「役立たず」などというレッテルまで貼られてしまう始末なのです。


最近、身近にそのような方を拝見して、気の毒だなあ、憐れだなあと思っていたところでした。

まあ、私も「不器用界」の片隅で、常にハアハアゼイゼイしている身ですから、こういう案件こそ、反面教師としていかなくてはならないのですがね。


ただ、結構長く生きてきちゃった自身の人生において、私が処世術として身につけたのは、「知らない、分からないことについて、絶対に分かったふりはしない」ということです。

これだけは自信を持って言えます(自信満々で言うことではないですが)。


そりゃ、えっ、そんなことも知らないの? と思われ、馬鹿にされてしまったりもあるでしょう。

しかし、私が詳しく知っていて相手が不案内ということもあるのです(昔話とか70年代アイドルとか大衆酒場事情ぐらいですが)。なんでも知ってるのは林先生クラスにもならない限りあり得ないのですから(それでも初耳があるのですから)、知らないことは恥ずかしいことではないのです。


恥ずかしいのは、知らないことを知っている振りをすること、そして、知らないままに時間を過ごし、後に引けない状態になってしまうことなのです。


そんなこと、当の本人に言うこともできず、言ったところで憮然とされるだけでしょうから、ここでこっそり、書かせていただきました。

頑張ってほしいものです。


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まあ、不器用な人も、そうでない人も、これからの人生に幸あれ!です。

いろんなことを勉強し、身につけて、心豊かな人生を送っていきたいものです

写真の内容については相変わらずで、あまり成長はありませんが(苦笑)。





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by yochy-1962 | 2018-06-23 12:00 | ひとりごと | Trackback | Comments(0)
人の命なんてちっぽけなもので、どんなに高邁な理想に燃え、歴史に名を刻むような人生を歩みたいと思ってみたところで、それを見事実現できる人はほんの一握り。ただただ必死に毎日を生きて、目先のことに一喜一憂して、泣いて、笑って、そうしてひっそりと人生の幕を下ろすのがほとんど、なのだと思います。
いや、自分も含めてですが。

もちろん、そうした人生をつまらないと言っているのではありません。
自分の生きた証を残せなかったとしても、人様に迷惑をかけず、清く、正しく生を全うできるのは素晴らしいことです。

そして、どんなにひっそりとしたように見える人生でも、それぞれにそれぞれの、無限なる「宇宙」があり、その中に暮らす、その人のエネルギーになる「思い」や「願い」が、必死にその人を動かしているものなのです。

人に優しく、決して声を荒げず、いつも穏やかに笑っていた印象しかない私の親友が、先日心不全で突然旅立ってしまい、なんだかまだ現実を受け入れられず、とりとめもなく「人生」だとか「命」だとかに思いを馳せているところです。

しょっちゅう会って話したり、面白そうな酒場を巡ったり、SNSで笑い合ったりけなし合ったりした仲だというのに、私は彼の、どれだけの「宇宙」を知っているつもりになっていたのか、今になって知らなかったことが多すぎて、愕然とするのです。

亡くなってから、彼のごく近しい方から聞いたのですが、彼はおよそ30年もの間、実家の人達とずっと連絡を絶っていたのだそうです。
そういえば、「こないだ故郷に帰ったんだ」なんて話は聞いたことはあったと思うのですが、親は今こんな状態で、兄妹はどこに暮らしているなどの話は聞いたことがありませんでした。

お母様からは、何度も連絡はあったのだそうです。しかしそれを一切拒否していたとのこと。
どういうことだったのでしょう。あの穏やかな、いつも優しい表情からは、その頑なな行為はあまりにも意外で、驚きでした。

彼と親御さんの間に何があったのか。細かいことまで追求するつもりはありませんが、多分、彼がその先、誇り高く生きていくための、苦渋の決断だったのかもしれません。
清く、潔癖な人柄だからこそのことかもしれません。そう思えば理解できるような気がしました。

どうしても許せないこと、受け入れないこと、誰にもあると思います。
しかし、楽に生きていくために、ある程度のことは見ないふり、そして無理やり呑み込んでいくしかない、ということは、年齢を重ねていけば「処世術」として嫌でも身についてしまうものです。
しかしそれは、彼には許せなかったのでしょう。
決して打ち明けられたことはありませんでしたが、今になって、ただ優しいだけでない、彼の太い「核」を知ったような気がしました。

社会人としては、もしかしたらあまり恵まれなかった人生だったかもしれません。

大学を卒業してから、しばらく定職につかず、肉体労働みたいなことをしていた、なんて話を聞いたことがありました。
それから就職した会社もいろいろ大変だったようで、精神的にずいぶん参っていた時期もありました。
最後は、大変な激務の会社でした。徹夜業務が続き、ここ数年は飲みに誘っても、疲労困ぱいといった様子でした。それでも、いつもの柔らかい笑顔を見せてくれたものでした。

私が最後に彼に会ったのは、今年のお正月、一月一日でした。
友人宅で行われた新年会。いつもの柔和な、くつろいだ表情で彼は座っていました。
顔を合わせた瞬間、「なに、その目の下のクマ」「なに、その、くっきりとしたほうれい線」と、同時にけなし合ったのが、最後の二人のおちゃらけトークになりました。
最後だと分かっていたら、もっと気の利いた話をしていたのに……。今思うと、悲しすぎて言葉になりません。
でも、いつもの会話でくつろげて、それはそれでよかったのかもしれません。そう思うようにしたいです。

いま、こうして彼との思い出を辿っていても、彼が怒っていたり、人を悪く言ったりという場には一度も遭遇しませんでした。ホントに優しい人でした。
でも、もしかしたら、それは彼の宇宙の、私からは片側しか見えない一面だったのかもしれません。
本来ならあと30年は続いたであろう人生を、どのようにイメージしていたのか、いつか、絶縁していた肉親と、どのような折り合いをつけようと思っていたのか、永遠の謎となってしまいました。

でも、これだけは言えると思います。
どんなことがあろうとも決してくさらず、潔癖で、ささやかな喜びを大切にして、友を大切にして、柔らかな微笑みの印象だけ残して終えた人生。
これほど素晴らしいことはないのではないでしょうか。
そんな友人を持てたことに、私は心から誇りたいと思っているのです。

いま、いろいろな怒りやら、無念やら、悲しみやらから解放され、自分が描いた宇宙を自由に、思い切り泳いでいる彼が、私には見えています。

そして、その宇宙をさらに覗こうとしている私に向かって、「ヨッチーはまだまだ早いよ。もうちょっと頑張って、この世のことをオレに報告してくれよ」なんて言っているような、そんな風に解釈しようと思っています。

彼の清く、名もなく、美しい人生に乾杯。
再会する日を楽しみにしています。

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by yochy-1962 | 2018-01-18 20:00 | ひとりごと | Trackback | Comments(2)
朝の新宿南口付近、会社へと向かう人の波に向かって、「ギャグありますよう、ギャグありますよう」と連呼している若き(と思う)男性の姿を見かけることがあります。

多分、ストレス社会に生きる人達に、ほんの少しでも癒しを感じていただけたらと、「笑い」を販売している方、なんだと思います。

「んー、仕事仕事で、最近ちょっと笑ってないなあ、あっ、あそこにギャグを売ってる若者がいるぞ。よし、ちょっと試してみるか!」
そんな、疲れ気味のサラリーマンにうってつけの、ナイスな企画とお見受けします。
こうした、ちょっとした「スキマの」発想こそ、これからのビッグチャンスに繋がるのです。なかなかクレバーな若者なのでしょう。期待したいところです。

……な訳ないよなあ。

朝の通勤時は、ほとんどのみなさん、遅刻するかもしれないと半ば焦りながら、最寄駅を出て、小走りに会社へと向かっているものなのです。
そんなとき、「ギャグありますよう」と、ウ◯コの被り物をした、人の神経を逆撫でするような男の姿など、まず、一瞥もしないで通り過ぎるでしょう。
ホントにギャグを見たいのなら、前の夜にyoutubeでサンドイッチマンあたりのコントを見た方がよっぽど面白いし、第一、ウ◯コの被り物を「面白い」と思っている(だから被っているんだと思いますが)時点で、彼の放つ「ギャグ」なんて大したことない、と言うことが丸わかりなのであります。

新橋あたりで道行く人をホメ殺ししたり、悩みを聞いたり、なんてのが商売になっているなんてのをテレビで見たりしたことがありますが、それは夜の、酔っ払い相手にする商売だからこそ成り立つのであって、朝の忙しい時間に、まず立ち止まるなんてことはないでしょう。これは無理だろうと、なんで気がつかないのかなあと思います。

やりたいこと、目指したいこと、そのために何か動いてみる、と言うのは、何もしないよりはずっと素晴らしいことだとは思うのですがね。なんだか痛々しくて、そんな彼の姿を見るたびに、頑張れよ、と思うよりも、もっと頭使えよと、失礼ながら思ってしまう私なのでありました。

もうひとつ、ランチタイムに会社近くを歩いているとき、店の前で「いかがですかあ。限定◯食、もうじき終わりますよ〜」などと絶叫している女性店員の姿を最近お見かけします。

このお店、最近出来たばかりのお店で、夜は鹿児島の焼酎などを振舞ってくれる居酒屋さん、と言う佇まいです。
新しい店ですし、宣伝は必要です。だから、ああこのお店、ランチもやるのね〜なんて知ることはできたのですが、じゃあ入ってみようか、と思うより前に、その女性の絶叫具合が凄まじく、ちょっと怖くてその前を通り過ぎることさえためらってしまいます。

ただでさえランチ激戦区の地帯。それこそ星の数ほどあるお店の中で、客が知りたいのは、その店では何を、どのくらいの価格で食べさせてくれるかの情報です。
だから本当なら、店の前に、本日のメニューはどんなもので、お値段はいくらなのかをしっかり提示することが、まずするべきことだと思うのです。

しかしそのお店、絶叫具合はすごいのですが、何を食べさせてくれるのかは店の外側からはいっさいわかりません。
ただでさえ、関わりたくないと思わせるようなパフォーマンスだというのに、メニュー、値段がわからないんじゃ、客が入るわけないだろ、ということに気がつかないのかなあと、これまた私は心を痛めることになるのです。

両者とも、「客観性」の欠如、なんでしょうね。
誰か言ってあげればいいのに、とも思いますが、まあ、自分の頭の上の蝿すら追っ払えない身の上でございますので、そそくさと師走の街を通り過ぎるだけの私、なのでありました。
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師走でございますねえ。
年末年始は風邪ひいたらおしまい、と思って用心に用心を重ねているのですが、ここ二、三日、奥歯が痛くてたまらなくなってきてしまいました。
年末までにあと三回の忘年会が控えている身。ああ、なんとかならないかなあ。

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by yochy-1962 | 2017-12-20 11:15 | ひとりごと | Trackback | Comments(2)
「日本の海では泳がない」「篠山(紀信)先生にしか水着姿は撮らせない」(^_^)。
泳ぎの誘いがあるたびに、こう豪語して友人をけむに巻いていた(つもりの)私。
しかし最近、駅の反対側徒歩10分ほどのところに区民プールがあることを知り、これまで頑なに守っていたその決意をあっさりと捨て、いそいそと水着を抱えて潜入したのでありました。

……いや、天井知らずに増加する体重をなんとかせねば、とは常々思っていたのであります。
健康診断の結果、「あなたは完全にメタボリックシンドロームです。なんとかしないと死にまっせ」と脅迫めいた、ありがたいお言葉もいただいたのでした。

さらに最近、一緒に働く先輩編集者に大きな病気が見つかり、治療に専念するために退職。
健康には気を遣って、最低週一回のウォーキングを欠かさず、きのこ、スプラウト系の野菜など積極的に摂取している私なのですが、これだけでは足りないようです。やはり、歳を重ねたら重ねたなりに健康法も変えていかなければならないようなのです。

代謝はどんどん衰え、ちょっと食べ過ぎたらてきめんに太る、あるいは胃がストライキを起こして一晩中痛む……。
やはり、プラスαの運動をして代謝を促すことは必須。
これからも美味しいお酒をガハガハ笑って飲めるためにも、脱メタボリック!宣言なのです。

で、いざ区民プールに潜入。
ハイソな区だけに(杉並区民でありながら世田谷区民プールを利用)、とてもキレイな温水プール。なんでもゴミ焼却で発生した熱で温水にしているとかで、1時間240円と安価です。

仕事が終わってから、夜8時ぐらいにプールに到着するので、閉館までの1時間のみの利用ですが、この時間になるとキャーキャー騒ぐ子供はおらず、ただひたすら泳ぐ大人の利用者ばかりなので、あまり気をつかうこともなく、快適です。

で、およそ10年ぶりのスイミング〜、となったわけですが……。
さて泳ぐぞーっと、平泳ぎの体勢でスーッと、かっちょよくアーバンに(どんなんだ)泳ぎ出します。
そう、短距離走は苦手ですが、泳ぎのほうは昔から得意で、中でも平泳ぎは校内水泳大会でもいい結果を出していた私。
イメージとしては、そこからスイスイスイッと北島康介ばりのナイスな平泳ぎを披露……のはずが。

ブクブクブク……。
まず、沈むのです。

自分が抱いていたイメージでは、手を前に伸ばし水に乗れば、そのままスーッと前に進んでくれるはずでしたが、それは体重が50キロ台の、スリムなイケメン(?)時代の私でして、もうそれは遠い昔の話。
浮くことも、ちょっと前に進むことも、結構な体力が必要だということを思い知らされたのでありました。

次第に昔を思い出し、ゆっくりながらでも泳ぐことができたのですが、昔は、平泳ぎならいくらでも泳げたはずが、たった25メートルほどでハアハア、ゼイゼイ。
そして腕、肩、背中、腰、普段使わない筋肉がいっせいに悲鳴を上げています。

それでもなんとか頑張って、25メートルでハアハア、しばらく休んで25メートルでゼイゼイ、を数回繰り返し、およそ30分で水泳再デビューは終了。
疲れました。ああ疲れました。
歩くのもやっと、という感じで、転がるようにしてお疲れ様タイム。
ビールの美味かったこと!
(なんのための水泳なのか分かりませんが)
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まあしかし、心地よい疲れではありました。
その日はいつもよりぐっすり眠れたような気がしました。そして、身体中の痛みは次の日には大方消え、あまり肉体的にもダメージはなく、よし、これなら続けられそうな感じです。

何回か通ううちに、やはり昼間や休日は子供も多く、なかなか自由に泳ぐことができないので、仕事帰りの午後8時くらいが狙い目ということが分かりました。
ただ、黙々と泳いでいる皆さん、揃って優雅に、慣れた様子で泳ぎを楽しんでいて、ちょっと自分がみっともないなあとも思ってしまいます。
しかしめげずに泳ぎを続け、その仲間に入れる頃には、きっと私の贅肉もすっきりして、クロールなどでかっちょよく泳げているに、違いありません。
いまはクロールは時期尚早。ふざけているか、溺れているかと勘違いされ、監視員に救助されてしまいかねませんもんね(^_^)。
まあ、頑張ります(^_^)。


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by yochy-1962 | 2017-10-15 19:49 | ひとりごと | Trackback | Comments(2)
大きな声で恫喝したり、威嚇したり、とにかく迫力だけで同じ方向に導こうとしても、それは逆効果ってものなのです。

しかし、いくら上品に振る舞っているつもりでも、「排除」などという恐ろしい言葉を使われたら、その方がその後どんなに素晴らしいことをおっしゃったとしても、申し訳ございません、もうシャットアウトです。

「誠に遺憾ではありますが、この度はご期待に添えず」「悪いけど、来月からは他の人に」などの「排除」を痛いほど経験して来た者にとっては、この言葉を簡単に言える人は、人の心の痛みなど感じることのできない人にしか思えないのです。

やらかしたな、と思います。
失敗から何も学んでいない人、あるいはそれに気づくこともできない人だということでしょう。

この一言でメッキが剥がれました。
一瞬のうちに、大きな支持に守られているという幻想は崩れ去りましたよ。
さようなら。
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ヤケ酒にはつきあいましょう。
この街にはイカす大衆酒場がたくさんたくさん。
そうそう、もうすぐこんな催し物があるんだそうですょ。
支離滅裂でしたね。


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by yochy-1962 | 2017-10-03 17:01 | ひとりごと | Trackback | Comments(0)
c0135618_2235073.jpg 事件は、我々友人同士で定期的に行っている「東京煮込みマラソン」(略称にこまら)のゴール地点である赤羽で起きたのでした(写真は特に意味はありません。年賀状用にあちこちで撮った写真の、ボツの一枚です)。

 大衆酒場という安普請の造りだけあって(失敬)、友人が不安定なテーブルに手をついた途端、ガクンとテーブルが傾き、思いっきりビールをぶちまけてしまったのです。

 ビールは、ちょうどテーブルに置いていた私のデジカメめがけて一直線。慌てて水気を拭き取ってみたものの、それから電源を入れてみても、デジカメはうんともすんとも言わず。
 ちょっとビールをかぶっただけなのに、あっという間に御臨終です。

 友人は申し訳なさそうに「ゴメンゴメン」を繰り返すのですが、まあ、これは事故みたいなもので、誰のせいでもありません。友人を責めるわけにはいきません。
 もしかしたら、水分が飛んだら復活してくれるかもしれないと、そのときは「いいよいいよ」と、悠長に構えていたのですが……。

 一週間経っても、二週間経っても、デジカメさんは動く素振りすら見せてくれません。これは本格的に、黄泉の国へと旅立ってしまったようです。

 まあ、もともと貰い物のデジカメだしなあ、それに昨今はスマホのカメラも結構素晴らしい写真が撮れるし、それでいいか……と思っていたのですが……。

 ビールをぶちまけてしまった友人が心配して、「デジカメ復活した? もしダメなら、自分が持ってる古いデジカメがあるんだけど、それ、あげようか?」と言ってくれたのです。

「んー、いい人だ」と、喜んでその御心をいただくことにしたのでした。
 新しい、お古の(ややこしい)デジカメは、画質等、ややグレードは劣るものの、まあ、ブログにアップする程度なら文句言えず使うことはできます。
 これで田舎の同級会やら年賀状用の写真を撮って、うん、まあ使えるだろう、と普段の生活に戻った私でしたが。

 ある日、壊れたデジカメが、もしかしたらいまごろになって動くかも、というか動いちゃったりしてね〜、という軽い気持ちで、また電源を入れてみたところ。
 なんと、黄泉の国から復活して、デジカメさんは正常に動いたのです。
 さすがに日付等のセッティングは初期化されていましたが、以前撮った友人の還暦祝いの(笑)はっちゃけた写真、それから事件当日、赤羽の大衆酒場で撮った美味しい煮込みの写真、全て再びその御尊顔を拝むことができたのでした。

 とりあえずよかった。
 しかし、こうしてデジカメが復活したのですから、友人にちゃんとそれを告白しなくては、私は「壊れた壊れた」と騒いで、まんまと新しいお古の(ややこしい)デジカメをせしめた詐欺男になりかねません。

 まあ、友人もその話を聞いて安堵し、「ああよかった、まあ、あげたのは古いデジカメだし、そのまま使っていいよ〜」と言ってくれるに、違いないと思ったのですが……。

「あっ、そう? じゃあ上げたデジカメ、返してくれる?」
 友人はあっさりと、そう宣ったのでありました。

 まあ、そうだよな。それが普通だよな、とは思ったのですが、もう、その新しいお古の(ややこしい)デジカメさんとも友好関係を結び、使いこなせるようになった矢先でしたから、いいじゃん、一度くださったものなんだから返せなんて言わなくっても……という気持ちもなかったわけではありませんでした。

 でも、仕方ありません。いただいた新しいお古の(ややこしい)デジカメを再び初期化して、友人に返却しようと準備をしていたところ……。

 なんと、また、水をかぶったデジカメさんが再びうんともすんとも言わなくなってしまったのでした。

 いったいどういうことなのでしょう。
 これは、新しいお古の(ややこしい)デジカメさんが、友人の元に帰ることを拒否しているかのように受け取れました。
 って、考え過ぎなのですがね。

 どうしたらいいものか、悩む年の瀬です。
「壊れた詐欺」と「あげるあげる詐欺」の攻防は、年を越しそうな様相を呈しているのであります。

 っていうか、アンタ、もう新しいデジカメを買いなさい、って話なのですがね。
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by yochy-1962 | 2016-12-28 22:09 | ひとりごと | Trackback | Comments(2)