なんでも昨今、若者の間で「昭和歌謡」がブーム、なんだそうです。
70年代後半の歌謡曲など、今聴いても全然色褪せてない、そして、昔は感じられなかった歌詞の「深み」など、今頃になってしみじみ心に沁みたりするのですから、日本人である限り、年齢を超えてその良さは分かる、ってものでしょう。
いや、というより、昨今のJ-POPの歌詞が、あんまりにも不甲斐なく、「半径1メートル」の中の出来事しか描いておらず、さすがにつまらないと青少年達は気がついたのではないでしょうか。
まあ、この間、昭和歌謡が流れる大衆酒場にひとり佇んでいたところ、流れる山本達彦の歌声を「これ、稲垣潤一だよ」と言い張っていた若者がいたりしましたからね、君達もまだまだだねと訳のわからない余裕の笑みをたたえながら、このブームとやらをお高いところから眺めている私なのであります。
「作詞と作曲、それぞれが分業制で、それぞれのプロが書くべきだ」
先日紫綬褒章を受章し、調子に乗っちゃってる、もとい、「いま旬」の作詞家、松本隆先生がいろいろなメディアに登場しておっしゃっている言葉です。
確かにそうです。今のアーティストが、「しみじみ呑めば」「ぽつぽつ呑めば」とか、「プピルピププピル」、「男のワイシャツ着てくるりと回って髪の毛かきあげてる私は18」(笑)みたいな、はっきりはよくわからないけど、なんとなくそのシチュエーションはわかるような歌詞を書くことができるでしょうか。
で、こちらの本です。
昭和歌謡を彩ってきた作詞家といったら、この2人の他にも、なかにし礼、千家和也、阿木耀子など錚々たる方々がいらっしゃいますが、作詞した数、レコードの売り上げ、そして何と言っても、時代を映す鏡としての、または時代を変えていこうとする鼻息の荒さを持った作詞家となると、やはりこのお二方なのかなあという気がします。
この本は、歌謡曲が華やかだった昭和40年代から、阿久悠、松本隆がどのようにして世の中に出てきたのか、どんな曲を作って、それがどのくらいの売れ行きだったのか、その頃の世相はどんな感じで、歌謡曲はどんな役割を果たしていたのかなど、客観的な数字を示しつつ紹介していて、それはそれは有意義な、とても楽しい一冊ではありました。
昭和歌謡マニアから言わせて貰えば、かなり語り尽くされたことも鼻高々で書かれていてちょっと苦笑、でしたが、まあ、私の昭和歌謡情報は、淳子、百恵、宏美、裕美、ピンクあたりが中心のものだったりするので、五木ひろしとか都はるみとか、いまいち詳しくないアーティストのリアルなレコード売り上げなども知ることができ、昭和歌謡に対してちょっとだけ視野が広がったような気がします。
楽しい本でした。
ここのところ仕事以外で活字を追うのはヤホーニュースか週刊文春、というやさぐれた私にとって、久しぶりに夜を徹して熱中した本に出会えたような気がします。
で、やっぱり思うのは、淳子さん、復帰してください、ということです。
舞台ならなんとかなるんじゃないでしょうか?
大◯し◯ぶ独壇場の、汚らしい(失敬)舞台事情に、一石を投じていただきたい、ただそれだけなのであります。
って、お題とはかなり外れてしまいましたね、失敬失敬これまた失敬。