2013年 02月 27日
Tokyo迷子ウォーキング 「市ヶ谷ノスタルジック坂ツアー」の巻
このあたりは若い頃から馴染みがあったところですが、坂道がたくさんあるイケてる街、という目で見ていませんでした。もっとも、私がブイブイ言わせていた市ヶ谷というのは、麹町方面に向かうあたりの市ヶ谷で、坂道がたくさんあるのはお堀を越えた新宿区側のほう。こちらはあまり馴染みがありませんでした。
小石川にある出版社に就職したものの、そこであるひとりの上司から猛烈なイジメにあい(いまだったら逆にイジメ返してやるんですけどね。まだまだその頃はうぶだったのでした)、逃げるように退職。路頭に迷う私を、駆け込み寺のように受け入れてくれたのが、ここ市ヶ谷にある教育関係の出版社でした。
その会社では、打って変わってみなさんからかわいがっていただき、私は一から出直しとばかりに、編集アシスタントとしてみっちり編集のイロハを勉強し、そこから私の編集者人生は始まるのでした。
その頃の方達とは、いまでも年賀状のやりとりをしていて、だから市ヶ谷という街は、私にとっていい思い出ばかりの、とても好きな街のひとつなのであります。
防衛省の裏を回るようにして、まずは左内坂という坂を上ります。
いわゆる市ヶ谷駐屯地、ですね。市ヶ谷駐屯地というと、やはり三島由紀夫を思い出しますが、昨今の若い人は、三島も漱石もあまり読まないのだとか。うーん、勿体ないことこの上なし、です。
とか言いながら、高校時代に三島は全部読みました、と豪語している私ですが、あまりにも若かったため、その内容も忘れ、意味もほとんど理解しておらず、もう一度読まんといかんなあと思っているところだったりするのですが(苦笑)。
このあたりは「大日本印刷銀座」でもあります。
昔、深夜の出張校正で大日本印刷を訪れたことがあるのですが、そのとき出されたお弁当が、嫌がらせのようにまずかったことが、いまでも思い出されます。
もう20年以上も前の話なので、いまはそんなことはないと思いますがね。
このあたりに、当時お世話になったフリーの編集者が住んでいて、よく通ったものでしたが、どこだったかもさっぱり思い出せず。それなのにあのお弁当のまずさだけは、頭の中にこびりついて離れないという、まったく食い物の恨みだけは……なヤツでございます。
一度外堀通りに戻り、またもや坂探索。今度は浄瑠璃坂という坂がお目見えします。
昔、この坂で「あやつり浄瑠璃」の小屋興行を行ったから、この坂名がつけられたようです。
このあたり、昔は武家屋敷がたくさんあったようですが、現在もお金持ち風の家があちこちにあって、閑静だし、いいなあ、こんなところに住みたいなあと思わせます。
さきほど、大日本印刷の前を通りかかったとき、どこに続いているのかわからない歩道橋がありましたので、そこを探してみたところ、こんな感じでした。
街全体が坂で出来ているので、さっき通った道が、はるか下の方にある、ということも当たり前のようにあります。
で、歩道橋から続いている坂が「芥坂(ごみざか)」という坂なのでした。
ごみ坂? まさかゴミ、のことじゃないよな、と思いましたが、どうもそれは本当らしく、歩道橋ができる前は、この坂はずっと下の方まで続く坂だったようで(現在印刷工場ができてしまったので、坂道の途中で歩道橋を作ったというわけですね)、その底の方にゴミ捨て場があったようです。
別名「暗闇坂」ともいわれるので、このあたりは、きっとゴミ捨て場に相応しい暗がりだったのかもしれません。
うっかり上のほうを歩きすぎると、もうそこは牛込です。
神楽坂の裏手あたり、ちょっとお忍びで行くにふさわしいこじゃれたレストランとかバーとかがあるエリアです。
別に私はお忍びする必要もありませんので、ちょっとイケてる酒屋さんの看板を写真に収めて、退散です。
またまた外堀通りまで引き返し、東京理科大などを見ながら「逢坂(おうさか)」という急勾配の坂に到着。
坂名の由来は、読んで字の如く、恋愛にまつわる話で「ケッ」としてスルーしましたが、坂の下にある、「堀兼の井」という井戸の跡にまつわる話はちょっと悲しかったです。
昔、後妻が先妻の息子をひどくいじめて、いたずらしないようにと庭先に素手で井戸を掘らせたのだそうです。息子は朝から晩まで素手で井戸を掘ったのだが水は出ず、とうとう死んでしまったという伝説がこの井戸にはあるそうなのですが、現代でいうところのDVですね。思わずその息子さんに手を合わせずにはいられませんでした。
新坂。こちらもその名の通り、あるお屋敷の中に新たに道を通すことになり(そのへんでびっくりですが)、それでつけられた名前なのだとか。
確かにこのあたり、ちょっとやそっとでは買えないような高級マンションとか、どこまでが敷地なの? と思うようなお屋敷もたくさんたくさん。
指をくわえているだけの私ですが、まあ、オオゼキみたいな気の利いたスーパーもありませんからね、案外暮らしにくいところかもしれませんね、けっ(まあ、このあたりに住む方は、お車で紀ノ国屋あたりまでお買い物でもするんでしょうけれど。けっ)。
庚嶺坂(ゆれいさか)。江戸初期、この坂のあたりが美しい梅林であったため、二代将軍徳川秀忠が中国江西省の梅の名所大庚嶺に因み、命名したと伝えられています。別名が多い坂でもあるようで、「若宮坂」「行人坂」「祐玄坂」、そして「幽霊坂」という名もあるのだとか。
で、この坂の先にはこんなこじんまりとした神社「若宮八幡宮」がありまして……。
もうここは神楽坂、なのです。
あいかわらず賑やかな街です。久しぶりに立ち寄ったので、お気に入りの大学いもでも買って帰ろうかと思いましたが、残念ながら日曜日は休み。「五十番」で肉まんでも買おうかと思いましたが、ああ、そういえば夜は……。
そうでした。新宿にも「かぶら屋」があることを知り、さっそく探索してみようと約束していたのでした。
ここのしぞーかおでん(この店では黒おでん、というのですけれども)、あいかわらず美味です。
しかし、もっとイケてるしぞーかおでんの店を、高田馬場て発見! それはまた後日。