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編集王子

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Thank you !!!

 小学校6年のときの、一枚の修学旅行のスナップがあります。

 旅行先は東京(苦笑。なにせ静岡の田舎者だったものですから)。皇居やら国会議事堂やら東京タワーやらを見て2日目、後楽園の遊園地で遊んだ後、近くのレストランで食事して、そしてそのまま新幹線に乗って帰路につく、というスケジュールだったかと思います。

 当時私は学級委員などしており、クラスをまとめなくてはという責任感を持って、事故がないよう、クラスメートが人様に悪さをしないよう(笑。なわけないか)見張るため、先頭を歩いて張り切っていたものでした。
 で、その役目ももうすぐ終わるという食事時、というときの写真がそれなのですが、なんだか気の抜けた、というか、それまでのキリッとした学級委員の顔から、満面の笑みを浮かべ、ご飯を待っている子供の顔になって写真に収まっているのでした。

 写真が教室に貼り出されると、担任の先生は、その私の写真がそうとうお気に入りだったようで、「この顔、いいねえ。食べ物の前でニコニコしちゃって」などと、事あるごとにおっしゃっていました。なんだか意地汚い子供だと言われているようで、恥ずかしくて、ちょっと嫌だなあ、なんて私は思っていたものでした。

 いま思うと、ふっと気が抜けたときに見せた、私の子供らしい表情がとてもいいと先生は思ってくださったのだと思いますがね。
 旅行中、よっぽど子供らしくなかったんでしょうね。しっかりしなきゃ、と頑張るばかりで、旅行を楽しんでいないのでは、と先生は心配していたのかもしれません。で、最後の最後でそういう表情を見せて、ホッとしてくれたのかもしれません。

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 美味しそうなものを前にしたときの、なんの飾りのない、素直な表情。子供でも大人でも、いや、動物だって、一番いい顔をするのではないでしょうか。
 テレビでやっていた映画版「深夜食堂」を見たのですが、ひょんなことから食堂を手伝うことになった多部未華子が、ずっと食べたいと思っていた「とろろご飯」を前にしたときの、嬉しくて嬉しくてたまらず、箸を持って待ち構えている表情がたまらなく良くて、可愛くて、そのシーンが一番心に残りました。
 自分も子供の頃、何度そういった顔をして食事を待っていただろうと思います(可愛い顔だったかどうかは未知数ですが。苦笑)。なんだか懐かしくて、きゅんと胸が締め付けられるような気がしました。

 大人になって、食べることの楽しさ、大切さを、いろいろな場面で感じてきました。
 お金がなくて、約2日ぶりに食べたハンバーガー、夢が破れて八方ふさがりになったときに大家さんからいただいて食べたぶどう、不本意な形で会社を辞めたときに、ひとりで入った大衆酒場のなんこつ揚げなど、自分の人生において節目節目で食べたものがいろいろと思い出されます。
 しかし、どんなシチュエーションでも、美味しいものは美味しく、きっと心の中では、あの、小学生の頃のニッコリとした顔で食事をしていたような気がします。
 真性の馬鹿なのか、楽天家なのか、メンタルが強いのか分かりませんが、まあ、そういう性格が、どんなことがあっても腐らず、前を向いて歩くことができる、自分の生きる力になってくれていることは確実なんだろうなと思っています。

 そう、食べることは本能ですが、美味しく食べられることは才能だと思います。
 昔から、美味しそうに物を食べることにかけては天下一品と自負している私ですが、それも才能だと思います(笑)。誰も褒めてくれませんが(苦笑)。
 まあ、楽しく生きる術をひとつ持っている、と解釈して、そういう風に育ててくれた親に感謝しなきゃな、と思っているところです。

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# by yochy-1962 | 2016-11-20 23:45 | グルメ | Trackback | Comments(2)
 新宿駅近辺で、なにやらシュプレヒコールの波か起こり、ハチマキなど締めた軍団が拳を上げながら「立ち上がりなさ〜い、立ち上がったら座りなさ〜い」(©️きんどーちゃん)などと叫んでいます。

 いや、具体的なデモの内容は省略です。別にそれについて言及しよう、というわけではありませんからね。

 私が言いたいのは、そのデモを牛耳るべく、中心になって拳を振り上げ、演説をしていらっしゃる方の声が、とんでもなく「舌っ足らず」だった、ということなのです。

「……ということなんでしゅ。これは黙っていられましゅでしょうきゃ!」
 って感じで、演説しているご本人には申し訳ないのですが、なんだかふざけているみたいな、ウッチャンあたりのコントを見ているような感じで、なかなか、肝心の話の内容まで頭の中に入ってきません。

 その舌ったらずさんがデモの中心的人物で、もしかしたらすっごいカリスマ性を帯びた方だったのかもしれませんが、知らない方からしたら、なんだか立派なことをおっしゃっていたとしても、その内容は決して心に響かないのではと心配になりました。

 でも、んー、まあ人ごとです。ハチマキ軍団の中に、もっと声の通る美声の持ち主がいたんじゃないかと思いながら、そそくさと私は大衆酒場方面へと向かったのでありますが。

 声といえばもうひとつ、毎日乗る電車に、ときどきとんでもなく悪声の車掌さんに遭遇します。
 あれは男性なのか女性なのか、男性だとしたら結構なハイトーンボイスなのですが、いわゆる「ダミ声」というんでしょうか、バケツの水をひっくり返しながらヒャヒャヒャヒャと笑っているような声なのです。
申し訳ないのですが、それはちょっと不快になるような声で、この方が乗っている電車に当たると、爽やかな、よし、今日も頑張るぞと意欲満々の朝の気持ちが、シューッと萎えてしまうのです。

 私が引っ越して、新しくこの路線を利用するようになった4年前にはもう聞いていて、だからもっと前からいらっしゃった方かもしれません。しかしそのときは、んーアナウンスに向かない声だなあ、きっと苦情が殺到してすぐに配置換えだろうと踏んでいたのですが、4年を過ぎた今もご健在。相変わらず「えー、づぎばじんじゅぐ、じんじゅぐでござびばす」(←あくまでもそう聞こえる、っていう意味)というアナウンスを聞かされています。

 まあ、私がこの電車に乗っている時間はほんの10分ほどで、この方の声を聞くとしてもほんの二言、三言です。もう我慢できない、不愉快だ、暴れるぞ、というほどのものではないのですがね。それに聞きたくなければ迂回してでも違う電車に乗ればいい、って話なのですがね。

 しかし、いろいろな場面での向き、不向きな声というものは存在すると思います。好き嫌いというものも人それぞれだと思いますが、演説をするのなら強い、はっきりとした口調の声、アナウンスなら分かりやすい、耳障りでない落ち着いた声だよなあ、それと対極にある声は、やっぱりその部門においては才能がない、不適合なのでは、と思ってしまうのでした。

 で、声の才能、とはちょっと違うのですが、これまた朝、新宿の地下街を通過するときによく聞くパン屋さんの呼び込みが、私はいつも気になるのです。
「◯◯はいかがですかあ⤴︎」と、ゆっくりと、人の神経を逆撫でするように語尾を上げていらっしゃって、なんだか嫌だなあ、なんでそんなしゃべり方するんだろうと思ってしまいます。いつもそこを通り過ぎるたびに「うるさい、語尾を上げるな!」と心の中でつぶやいてしまいます。

 どうしたもんでしょう、こうした呼び込みでは「語尾を上げて耳を傾けさせ、お客様のご機嫌を伺いましょう」とかいう教科書でもあるのでしょうか?
 なんだか癇に障り、かえって逆効果のような気がするのですが、どうしたもんでしょうかね。

 同じように、会社近くの定食屋でも、定年過ぎと思われるおっちゃんが、おどおどした口調で「ランチいかがですかあ⤴︎」と人が通り過ぎるたびに連呼しています。
 この物件に関しては、その語尾だけでなく、力なく、なんだかただ時給のために仕方なく言わされてる感バシバシで、おまけに店の入り口を通せんぼしているような配置で連呼していて、これは呼び込みをしているのか、客が来ないように店に対して嫌がらせをしているのかわからない、と思ったりもしています。

 まあ、これらは声の才能、とはちょっと違いますけどね。

 声にはそれぞれ、その場面での的確なものがあると思います。声に迫力がなく、いわゆるドスの利いた声が出せず、なにか咄嗟に不愉快なことがあっても、相手を威嚇しながらきっちり言い返すことができずに、ただストレスをためるだけの私は、喧嘩する才能がない声、ということは自覚しているのですがね〜。

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# by yochy-1962 | 2016-10-22 23:49 | ひとりごと | Trackback | Comments(0)
 高田馬場の自称アイドルとか、紀香の「飛び級的」梨園の妻語りなど、香ばしい物件がたくさんある今日この頃ですが、忙しくてなかなか言及する時間がなく、そうこうするうちに約1カ月ぶりにブログさんとご対面です。
 まあ、忙しいというわりにはしっかり美味しいものを食べ、ゆったりと酒を呑む時間は確保しているのですがね、結局のところ、ブログに対する情熱がすっかり冷めてしまっているということなのでしょう。華麗の、もとい加齢のせいかもしれません、嗚呼。

 さて、ファストフードチェーンが「ちょい呑み」という制度を啓蒙してくださったのはいいのですが、堅気の皆さんが慎ましく食事をなさっている横で、ぐでんぐでんに酔い潰れるのもなんだかみっともないかなあと、勝手にひとり敬遠していたのでした。
 しかし、「ちょい呑み」なのです。あくまでも「ちょい」、職場と家までの間、ワンクッション的なものでっせ旦那、酔い潰れるなんてもってのほか……というコンセプトをいっさい理解していない私なのでした。大変失敬いたしました。

c0135618_2227572.jpg で、各店舗のちょい呑みを、満を持して潜入。
 まずはちょい呑みの先駆者、牛丼の吉野家です。
「ビールはまだかあ!」と、70年代の中島みゆきさんも歌っていらっしゃったので、吉野家におけるビールは昨日今日始まったものではないようです。しかし牛丼とビールというのも、すぐに腹がタップンタップンしてしまいそうで、すでに腹たっぷり気味な我が身を考えると、オーダーするのは若干の躊躇というものが生まれてきます。
 しかし、こうしたお悩みも吉呑みはカバー。とにかくメニューが豊富で、写真のような煮込みや、鶏の唐揚げ、フライドポテトなんていうメニューもあり、立派に居酒屋としての機能を果たしているように見受けられます。
 しかしまあ、肝心のお味となると……、うーん、牛肉をたくさん使っているからといってモツ系も充実しているというわけではなく(写真の通り迫力不足)、明らかに冷凍食品みたいな一品もあり、牛丼の味が完璧なお店だけに、ちょっと期待し過ぎたかなあ、と肩透かし状態、というのが正直なところでした。
 牛皿と冷奴、それとゴボウサラダという、昼間の定番商品で一杯、というのが正解かもしれません。


c0135618_2228578.jpg こちらは、天丼の「てんや」のちょい呑みの図です。
 この日はビール(キャンペーン中で一杯300円でした)と天ぷら盛り合わせ、ほか一品二品をオーダー。
 てんやの天ぷらはあまり油っこくなく、サクサクと微笑みながらいただける極上の逸品だと私は認定しています。あまり宣伝はしていませんが、ちょい呑みにはうってつけ。スタンダードな天ぷらもいいですが、季節季節に変わる天ぷらとともにいただくビールは、なかなかオツだなあ、とは思います。
 しかし、残念ながらここも、ちょい呑み用として作られたメニューのグレードが、とてつもなく低いのがイマイチです。
 やはり、その店のグランドメニューをアテに呑むのが一番かなあと思ってしまいますね。


c0135618_2228876.jpg そういう意味で、一日中豊富なメニューをそろえ、懐の深さを見せつけてくれる「松屋」のちょい呑みは期待できるというものです。
 さすが、ふだんからキムチやら目玉焼きやら、いろいろなサブメニュー、それも及第点の味を揃えてお客様のご機嫌を伺っているだけあって、立派に居酒屋として使えるお店といえるでしょう。生ビールグラスで150円というのも、薄給にあえぐ我々労働者に優しいことこの上もなし、という感じです。
 しかし、松屋はご存知、最初に券売機でチケットを購入してオーダーする方式を取っている店です。この券売機が、おっさんにとってはなかなか複雑で、えーとビールはこれで、えーとえーと、牛皿はどこじゃ、ああ間違えた、サラダはどこじゃとあたふたしているうちに、券売機に長い行列ができてしまい、結局小心者の私は、一度にチケットを購入することができないのです。
 もちろん、席に着いてから店員さんに直接オーダーして、その都度お金を払えばいいのですが、忙しく振る舞っている店員さんにあれこれ指図するのもなんだか気が引けて、結局、まあいいや、さっと呑んで、あとは家で焼酎ハイボールでも飲みましょ、ということになるのであります。

 ……あっ、そうでしたね、ちょい呑みでした。ここでしっかり酔っ払って、真っ赤になってふらふら帰りましょう、という人のものではないってことなのですね。

 ということで、真の酔っぱらいは大衆酒場にでも行きなさい、ということが分かり、これからも大衆酒場道を極めようと思った2016年の私でございました。

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# by yochy-1962 | 2016-10-09 22:34 | | Trackback | Comments(0)

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