ブログトップ

編集王子

newyochy.exblog.jp

Thank you !!!

<   2015年 09月 ( 2 )   > この月の画像一覧

c0135618_22433242.jpg「浅草名所(などころ)七福神」というのがあることを知り、ちょっくら巡ってみようと、だいぶ涼しくなってウォーキング日和になった週末、しゃなりしゃなりと、浅草に参上した私です。
 あっ、ここは田原町。おなじみのおじさんがお出迎え。「七福神マップ」なるものがあり、それとにらめっこして吟味し、効率的な歩き方を検討した結果、ここからのスタートなのです。

c0135618_22471693.jpgc0135618_2247337.jpgc0135618_224646100.jpgc0135618_22463493.jpg
c0135618_22461891.jpg
 それにしてもかっぱ橋商店街は、最初のどでかいおじさん像(洋食器店ニイミの巨大オブジェ)をはじめ、フォトジェニックな物件がたくさんたくさん。業務用食器や券売機には縁がありませんが、写欲をそそります。こうしたオモローな(古っ!)ものを探すのも、この街のひとつの楽しみです。

c0135618_22521932.jpg ……しかし話は浅草七福神、でした。
 まず訪れたのは、「福禄寿」の矢先稲荷神社。
 京都の三十三間堂をならって建てられたという神社で、弓の射技練成のために「通し矢」が行われていたそうです。神社名の由来なのでしょうね。

c0135618_22591977.jpg ずんずんと三ノ輪方面に歩いていったところに、「寿老人」の鷲神社があります。
 酉の市で有名な神社です。樋口一葉の碑がありましたが、その他、久保田万太郎、正岡子規の作品などにも、この神社は登場しているそうです。

c0135618_2341535.jpg そのすぐ裏手に、「弁財天」の吉原神社があります。
 そう、ここはいわゆる「吉原」の地の端っこにあり、この神社の分所(?)には、関東大震災で亡くなった遊女たちの霊をなぐさめる、でっかい像がありました。
 しかし、このあたりは昔の華やかな吉原の面影はひとつもありません。まあ、昔から華やかだったところは、もっと浅草寄り、隅田川寄りなのかもしれませんが。

c0135618_2310256.jpg で、昔の華やかな面影を残す、風俗店が建ち並ぶ「吉原ロード」をくぐり抜け(まあ、昼間でしたから歩く人も呼び込みの兄ちゃんもいませんでしたが)、「布袋尊」の不動院に到着です。
 小さな、なんてことないところだったのですぐにスルーしてしまいましたが、あとで調べてみたら、このお寺を中心とした一角は、東京大空襲の際にも被害はなかったらしく、なかなかなパワースポット、といえるところなのかもしれません。

c0135618_23312961.jpg 「寿老神」の石浜神社です。
 昔はこのあたりに「石浜城」なるものもあったらしく、川沿いの、なかなか清々しい感じのする大きな神社です。
 しかし、現在はこの通り、大きなガスタンクがどでん、と横に鎮座(?)するロケーション。
 まあ、ガスタンク様も、現代の私たちの暮らしをささえる大事な神様、みたいなものですからね、ありがたやーありがたやーと思いながら詣でましたが。

c0135618_23363421.jpg ちょいと隅田川沿いに出てみました。
 ちょうど、北関東地方に多大な被害をもたらした、台風による豪雨があった後でした。隅田川の水量も、かつて見たこともないほどすごくて、すぐに退散です。

c0135618_23411087.jpg 「福禄寿」の今戸神社です。
 最近はあまり馴染みがありませんが、「今戸焼き」という焼き物の発祥地であり、沖田総司の終焉の地、としても知られている神社です。
 しかし、なんだかいままで閑散とした神社ばかりだったのに、どういうわけかこの神社、若い女子率が高いなあと思っていたら、なるほど、ここは縁結びの神様として有名なんだそうです。
 じゃあオイラも、と思いましたが、どんなことをお願いすればいいのかも思いつかず、それは断念いたしました(苦笑)。

c0135618_23495298.jpg 「毘沙門天」の待乳山聖天です。
 小高い山になったところにあり、これはその昔、突然この土地が盛り上がり、そこに金龍が舞い降りたという伝説があるのだそうです。
 ここも、今戸神社と同じで女子率高し、です。今戸神社にお参りする「ついで」、なのかもしれませんが、「乳」という名前から来るものなのか、夫婦和合、子孫繁栄の御利益が期待されている、ということですので、そういうことなのかもしれません。

c0135618_23561827.jpg その昔、隅田川から船で吉原へとつなぐ水路の名残、日本堤あたりも、今はこんな風情のある緑道となっています。
 どういう思いでここを船で渡ったのか、どういうドラマがあったのか、わずか100年前に繰り広げられていたであろう、さまざまな人の思いを想像してみる、こんなことができるのも、東京の魅力だなあと、つくづく思います。
 やっぱり東京はいいですね。あとどのくらい私が東京に住むのかは分かりませんが、住んでいるうちに、東京の魅力を余すところなく、味わおうと思っているところです。

c0135618_0369.jpg 「恵比寿神」の浅草神社までやってきました。ゴールは目前です。
 そもそもその昔、隅田川で漁をしていたときに観音様が流れて来て、それを篤く祀ったこどかこの神社の始まりだそうです。まあ、夢のない私は、うーん、上流の方で大きな水害があったのかな、と思ってしまいましたが。

c0135618_085119.jpg ゴールは「大黒天」の浅草寺、です。あっ、これは厳密にいえばこの写真は本堂ではなく、その横にある五重塔、なのですが。
 発祥は浅草神社と同じなのですね。時代は推古天皇36年、西暦でいうと628年、ということですから、浅草は決して江戸時代、徳川幕府がはじまった頃から栄えたのではなく、その、もっともっと昔から、ちゃんとした街を形成し、文化を持ち、人々が住みついていた場所だということが分かるのです。

 これで浅草七福神巡りは終了です。歩いて、お参りして、所要時間はおよそ2時間。それほど疲れることもないですし、最後は浅草ホッピー通りでの「ご褒美飲み」も楽しめますから、とても楽しめるコースです。おすすめです。

 それにしても、友人に「こないだ浅草七福神巡りをしたんだけどね〜」なんて話したら、「えっ、お正月でもないのに七福神巡り?」なんて言われてしまいましたが、……そうなんですか。七福神巡りはお正月にするものなのですか……。
 ……まっ、いいか。ワタクシ、毎日がお正月みたいなものですからね(笑)。
[PR]
by yochy-1962 | 2015-09-30 00:20 | Tokyo迷子ウォーキング | Trackback | Comments(4)
c0135618_215908.jpg「あれ? それならアシスタントさんにやってもらえばいいのに」
 本のカバーデザインの校正紙を、本の形に切っていたときに言われた言葉です。

 御存知の方も多いと思いますが、校正紙の四隅にある「トンボ」という、鍵の形になった二本の線。この内側に合わせてカッターを入れると、仕上がりと同じ寸法の校正紙が出来上がります。完成図を確認する意味でも大切な作業です。
 まあ、それほど大変な作業でもないので、編集部の多くのみなさんは大学院生のアシスタントさんにその作業をお願いしているのですが、私はいつも誰にもお願いせずに、しこしこと、カッターと定規を駆使してトンボとにらめっこしている毎日です。

 私が、それこそ「編集アシスタント」だった20代前半の頃は、毎日毎日、こういう作業ばかりしていたものでした。
 今でこそデジタル化が進み、クォークとかインデザインなどの編集ソフトが主流になって、印刷会社に入れる前に、出来上がりに近い形の校正紙を確認できるようになりました。ホント、写植とか、トレスコとか、もう「死語」ですもんね。
 しかし当時はそんなものありませんでしたから、原稿、あるいは写植の状態から印刷会社に入稿し、それからが校正作業、というパターンが主流でした(入稿してからやっと校正を始めるなんて、「下」の編集がすることだ! なんて力説する先輩編集者もいましたが。とりあえずそれはさておき)。

 まあ、文字だけの本を見るのなら、わざわざ校正紙を出来上がりの形に切る必要はないと思いますが、絵本とか写真集のように、出来上がったとき、思い通りの形に絵が入っているかどうか確認するためには、どうしても校正紙を綺麗に切って確認するしかありません。
 当時私は、絵本、写真集を多く手がける出版社に勤めていました。だから200ページほどの写真集の校正紙を、著者分と校正用その他諸々で全4部作って、という命令を仰せつかることは日常茶飯事。何時間もかけて、ちまちまとトンボとにらめっこ、なんてことをしょっちゅうやっていた毎日なのでした。

 特に、この作業をよく私に命じるひとりの先輩編集者は、自分の外見とは違う(失礼)とんでもない美意識の高い方でした。ちょっとでも汚い切り方をすると「ダメだよ〜こんなんじゃ著者に渡せないよ〜」なんておっしゃられるので、手を抜くことはできません。
 そして、写真集や絵本で使う紙はなかなか厚く、綺麗に仕上げるためには、カッターの刃はいつも鋭く尖っていなければなりません。左利き、そしてとんでもなく不器用な私は、しょっちゅうカッターで自分の指を切り、流血騒ぎを起こしたものでした。

 とにかく、目の前の仕事をしっかりこなすことだけ。なにかをしたい、という前に、なにをすればいいのか、自分にはなにができるのかを探すだけの毎日でした。
 一心不乱にトンボと格闘し、だいぶ慣れて、紙を切らせれば天下一品と自他ともに認められるようになった頃、私は「アシスタント業」から解放され、半分一人前(みんな言葉があるものか)の編集者へとステップアップしていくのでした。

 現在、なんの迷いもなく、というよりも「天命」の如く、編集者として人生の後半戦に突入している今日この頃ですが、ときどきこうした、昔の、「おいらはこれから先、どうやって生きていくのだろう」「どういうライフワークというものを見つけて生きていくことができるのだろうか」という、漠然とした不安を抱えながら生きてきた20代前半を思い出します。

 ただただ必死でした。一刻も早く仕事を覚えようと、前ばかりを見ていたあの頃。「お前、あの頃必死だったなあ」「頑張ってたなあ」と、あの頃の自分がなんだかとても愛おしくなることもあります。
 多分、自分の「核」の中に染み付いたそういう「必死さ」を、これからも忘れずにいるために、私はこれからも、トンボとにらめっこする作業を大切にしたいと考えているのです。

「オレね、こういう作業が好きなんだよね。アシスタントさんに頼むのはもったいなくて」
「えー、トンボ切り好きなの? じゃあ、私のもやってもらおうかなあ(笑)」
「いいよ、その代わりトンボの外側で切ってあげるけど(笑)」

 まあ、長く生きてきて身に付けた「悪魔ぶり」は、誰にも教えられることなく、勝手に絶好調。これはご愛嬌ってことで(苦笑)。

[PR]
by yochy-1962 | 2015-09-06 22:38 | 仕事 | Trackback | Comments(2)

by yochy-1962