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編集王子

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カテゴリ:Tokyo迷子ウォーキング( 37 )

c0135618_23532172.jpg 観光客があまり訪れない、ツウな人のための浅草、というテーマで浅草を楽しんでまいりました。
 案内人は、浅草生まれ、古代から中世の浅草の歴史に関する著書もお持ちのM氏です。
 って、編集したのは私なんですけどね(^_^)。
 とにかく、本作りの最中から、へえ、そうだったの? とか、知らなかったあ、という浅草の歴史を新たに知って、毎日毎日、目からウロコ状態の日々でした。まあ、ここでひとつひとつ書くわけにはいかないので省略。とにかく、浅草は浅草寺、仲見世通り、そしてホッピー通りだけではないってことなのです(^_^)。
 友達と浅草で待ち合わせするときは、決まって雷門の前なのですが、今回は「裏」浅草、ってことで東武電車改札前で待ち合わせ。ここから北へ北へと参るのです。


c0135618_23532660.jpg 浅草で歌舞伎、とはあまり馴染みがないのですが、江戸時代、庶民の娯楽であった歌舞伎を取り締まるため、「郊外の」浅草に芝居小屋を移転させたという歴史があるのだそうです。それがここ、猿若町近辺。
 街名にはかすかにその名残りはあるものの、それを彷彿とさせる碑だとか、ちょっとした凸凹(タモリさんが身悶えして喜ぶような高低差的な)がないので、なかなか観光として確立しないのが残念ではあります。


c0135618_23533053.jpg 言問橋から見たスカイツリー。浅草からその全貌が拝める唯一(?)のスポットです。



c0135618_23534097.jpg 榎本武揚というと、あの五稜郭の戦い、函館戦争で亡くなったと勝手に思っていましたが、実はここ、浅草の保元寺で蟄居していたのだそうです。
 これは榎本一族のお墓。武揚の墓は文京区の吉祥寺という寺にあるようですが。


c0135618_23533572.jpg 浅草は、昔はいわゆる「被差別層」が暮らす街だった時期があるそうです。今でこそ普通の住宅地として静かな街並みになっていますが、その昔は、そういう層は革職人などをして生計を立てていて、いまでもその名残はあるようです。
 江戸時代、その被差別層を牛耳っていたのが、浅草(矢野)弾左衛門というお方。今では、歴史の片隅に追いやられてしまっている感のある人ですが、浅草の被差別層をまとめ、そうとうの財を築いたお方のようです。
 いわゆる、浅草の田中角栄みたいな人だったのかなあと、勝手に想像してしまいましたが。
 ただ、いわゆる浅草の「裏の」歴史という位置付けなのか、昨今はあまり大きく取り上げることはないようです。
 古地図を見ると、この辺り(と言ってもどの辺りか詳しく書けないんですけど。今戸から石浜にかけての一帯)はほとんど浅草弾左衛門の土地だったようです。しかしその名残りは見つけられず、学校にあった碑にもその事実は隠され、やがて歴史の闇に葬り去られる運命なのかもしれません。
 本龍寺にある浅草弾左衛門の墓を見てきましたが、本名の「矢野家之墓」となっており、それも区画整理したのか、こぢんまりと、小さな墓に弾左衛門さんは納まっておりました。

 この辺りの隅田川沿いには、戦後貧しい日雇い労働者たちと一緒に働き、その子どもたちのお世話をした「蟻の街のマリア」と呼ばれた女性(北原玲子さんという方)がいたそうです。これも、その痕跡をいまに伝えるものはなく、ん〜、こういうものこそ、後世に伝えていかなくてはならないのになあと思った次第。

c0135618_23534485.jpg こちらは平賀源内の墓です。なんてことない住宅地に、ぽつんと、しかし独立され、ちゃんと管理された風情で佇んでおりました。
 平賀源内といえば「日本のエジソン」と言われた発明家ですが、晩年、ふとしたことがきっかけで殺人を犯してしまい、どうも獄中死だったようです。全然知りませんでした。


c0135618_23534748.jpg 裏浅草といったら、「吉原」を語らずに通り過ぎることはできません。
 と言っても、昔の遊郭いまソープを一軒一軒調査するわけにはいきませんので(笑)、古地図と見比べながら、呼び込みの兄ちゃんをかわしながらのウォーキングです。
 昔は四方をぐるっとお堀で囲まれていたという吉原。吉原観音に寄付をしたという芳名旗(っていうの?のぼりみたいなヤツ)に家田荘子の名前を見つけ妙に納得したり(笑)、「吉原炎上」の舞台になったのはどこだろう? なんてトホホな疑問を先生にぶつけたりと、私なりに吉原を楽しませていただきました。


c0135618_23534950.jpg さて、表浅草に戻り、浅草呑みです。
 いつもの「ホッピー通り」で煮込み、「あげまん」で串揚げ、は封印して、ちょいと雰囲気のよろしい天ぷら屋さんでお食事です。
 浅草公会堂の近くにある、「中清」という天ぷら屋さん。
 なかなか入る機会のないお店ですが、いざ入ってみたらそれほど敷居は高くないのでホッとしました。
 っていうかゴチになって言う台詞じゃないか、すみませんです。

c0135618_2354145.jpgc0135618_23535879.jpgc0135618_23535638.jpgc0135618_23535362.jpg

 でも美味しかったあ。梅のゼリー寄せ(っていうのかなぁ)は特に上品で、程よく酸っぱく、程よく甘く、絶妙な逸品でございました。
 先生からは、古い浅草のことがたっぷり書かれた古書、そして夏目漱石の処女作の復刻版などをいただき、嬉しい限り。読まねば! です。

 これまで、キッチュで大衆的な浅草ばかりを楽しんできましたが、こうした、闇に葬り去られそうな、裏浅草のこともちょっとだけかじり、ますます浅草という街が好きになった一日でございました。また行きましょう。
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by yochy-1962 | 2016-07-09 00:31 | Tokyo迷子ウォーキング | Trackback | Comments(2)
c0135618_22433242.jpg「浅草名所(などころ)七福神」というのがあることを知り、ちょっくら巡ってみようと、だいぶ涼しくなってウォーキング日和になった週末、しゃなりしゃなりと、浅草に参上した私です。
 あっ、ここは田原町。おなじみのおじさんがお出迎え。「七福神マップ」なるものがあり、それとにらめっこして吟味し、効率的な歩き方を検討した結果、ここからのスタートなのです。

c0135618_22471693.jpgc0135618_2247337.jpgc0135618_224646100.jpgc0135618_22463493.jpg
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 それにしてもかっぱ橋商店街は、最初のどでかいおじさん像(洋食器店ニイミの巨大オブジェ)をはじめ、フォトジェニックな物件がたくさんたくさん。業務用食器や券売機には縁がありませんが、写欲をそそります。こうしたオモローな(古っ!)ものを探すのも、この街のひとつの楽しみです。

c0135618_22521932.jpg ……しかし話は浅草七福神、でした。
 まず訪れたのは、「福禄寿」の矢先稲荷神社。
 京都の三十三間堂をならって建てられたという神社で、弓の射技練成のために「通し矢」が行われていたそうです。神社名の由来なのでしょうね。

c0135618_22591977.jpg ずんずんと三ノ輪方面に歩いていったところに、「寿老人」の鷲神社があります。
 酉の市で有名な神社です。樋口一葉の碑がありましたが、その他、久保田万太郎、正岡子規の作品などにも、この神社は登場しているそうです。

c0135618_2341535.jpg そのすぐ裏手に、「弁財天」の吉原神社があります。
 そう、ここはいわゆる「吉原」の地の端っこにあり、この神社の分所(?)には、関東大震災で亡くなった遊女たちの霊をなぐさめる、でっかい像がありました。
 しかし、このあたりは昔の華やかな吉原の面影はひとつもありません。まあ、昔から華やかだったところは、もっと浅草寄り、隅田川寄りなのかもしれませんが。

c0135618_2310256.jpg で、昔の華やかな面影を残す、風俗店が建ち並ぶ「吉原ロード」をくぐり抜け(まあ、昼間でしたから歩く人も呼び込みの兄ちゃんもいませんでしたが)、「布袋尊」の不動院に到着です。
 小さな、なんてことないところだったのですぐにスルーしてしまいましたが、あとで調べてみたら、このお寺を中心とした一角は、東京大空襲の際にも被害はなかったらしく、なかなかなパワースポット、といえるところなのかもしれません。

c0135618_23312961.jpg 「寿老神」の石浜神社です。
 昔はこのあたりに「石浜城」なるものもあったらしく、川沿いの、なかなか清々しい感じのする大きな神社です。
 しかし、現在はこの通り、大きなガスタンクがどでん、と横に鎮座(?)するロケーション。
 まあ、ガスタンク様も、現代の私たちの暮らしをささえる大事な神様、みたいなものですからね、ありがたやーありがたやーと思いながら詣でましたが。

c0135618_23363421.jpg ちょいと隅田川沿いに出てみました。
 ちょうど、北関東地方に多大な被害をもたらした、台風による豪雨があった後でした。隅田川の水量も、かつて見たこともないほどすごくて、すぐに退散です。

c0135618_23411087.jpg 「福禄寿」の今戸神社です。
 最近はあまり馴染みがありませんが、「今戸焼き」という焼き物の発祥地であり、沖田総司の終焉の地、としても知られている神社です。
 しかし、なんだかいままで閑散とした神社ばかりだったのに、どういうわけかこの神社、若い女子率が高いなあと思っていたら、なるほど、ここは縁結びの神様として有名なんだそうです。
 じゃあオイラも、と思いましたが、どんなことをお願いすればいいのかも思いつかず、それは断念いたしました(苦笑)。

c0135618_23495298.jpg 「毘沙門天」の待乳山聖天です。
 小高い山になったところにあり、これはその昔、突然この土地が盛り上がり、そこに金龍が舞い降りたという伝説があるのだそうです。
 ここも、今戸神社と同じで女子率高し、です。今戸神社にお参りする「ついで」、なのかもしれませんが、「乳」という名前から来るものなのか、夫婦和合、子孫繁栄の御利益が期待されている、ということですので、そういうことなのかもしれません。

c0135618_23561827.jpg その昔、隅田川から船で吉原へとつなぐ水路の名残、日本堤あたりも、今はこんな風情のある緑道となっています。
 どういう思いでここを船で渡ったのか、どういうドラマがあったのか、わずか100年前に繰り広げられていたであろう、さまざまな人の思いを想像してみる、こんなことができるのも、東京の魅力だなあと、つくづく思います。
 やっぱり東京はいいですね。あとどのくらい私が東京に住むのかは分かりませんが、住んでいるうちに、東京の魅力を余すところなく、味わおうと思っているところです。

c0135618_0369.jpg 「恵比寿神」の浅草神社までやってきました。ゴールは目前です。
 そもそもその昔、隅田川で漁をしていたときに観音様が流れて来て、それを篤く祀ったこどかこの神社の始まりだそうです。まあ、夢のない私は、うーん、上流の方で大きな水害があったのかな、と思ってしまいましたが。

c0135618_085119.jpg ゴールは「大黒天」の浅草寺、です。あっ、これは厳密にいえばこの写真は本堂ではなく、その横にある五重塔、なのですが。
 発祥は浅草神社と同じなのですね。時代は推古天皇36年、西暦でいうと628年、ということですから、浅草は決して江戸時代、徳川幕府がはじまった頃から栄えたのではなく、その、もっともっと昔から、ちゃんとした街を形成し、文化を持ち、人々が住みついていた場所だということが分かるのです。

 これで浅草七福神巡りは終了です。歩いて、お参りして、所要時間はおよそ2時間。それほど疲れることもないですし、最後は浅草ホッピー通りでの「ご褒美飲み」も楽しめますから、とても楽しめるコースです。おすすめです。

 それにしても、友人に「こないだ浅草七福神巡りをしたんだけどね〜」なんて話したら、「えっ、お正月でもないのに七福神巡り?」なんて言われてしまいましたが、……そうなんですか。七福神巡りはお正月にするものなのですか……。
 ……まっ、いいか。ワタクシ、毎日がお正月みたいなものですからね(笑)。
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by yochy-1962 | 2015-09-30 00:20 | Tokyo迷子ウォーキング | Trackback | Comments(4)
c0135618_2254630.jpg 下北沢を離れて早3年半。
 まあ、離れたといっても、引越し先はほんの2駅先ですし、隔週のペースで下北沢を徘徊し、食事したり酒を飲んだり、似合わない洋服なんか凝りもせず買ったりしていたりするので(苦笑)、あんまり「離れた感」はないのですがね。
 それでも、たまにはゆっくりと、隅から隅まで下北沢を堪能しようとすると、あれ、ここにあった店がなくなっている、あれ、ここはこんなところじゃなかったなどと、あまりにもの街のマイナーチェンジ化が激しいことに気づかされるのです。
 たぶん、ですが、下北沢といえば若者に人気のスポット。そこでお店を出したい、と目論む方も多いのでしょう。だからきっと店の賃貸料はなかなかなものと想像できます。
 しかし、下北沢は若者中心、言葉を変えれば「貧乏人が集まる街」なのです。ちょっと乱暴かもしれませんが、いかに、お金を使わずに楽しめるかを追求せんと、若者が集まるのが下北沢といっても過言ではないでしょう。
 だから、いくら家賃が高くても、客単価を上げることはできず、客単価を上げたら繁盛せず、繁盛してもたいした儲けはなく、というよりも、同じような店が乱立する中ではそうとうなコネクションがないと埋もれてしまう、の悪循環で、定着することがなかなか難しいのかもしれません。

c0135618_2255392.jpg ということで、うっかりしている間に、シモキタのメインストリートにあったケンタッキーフライドチキン、そしてテイクアウト専門の唐揚げ屋さんが撤退していました。愛してたのにヽ(´o`;。
 この、老舗の定食屋「千草」も、閉店して1年以上が経ちました。結構流行っていたので、ビルでも建てるんかいなと思っていたのですが、いまのところその気配はなし。上の階の、昔のドーナツ盤を流してくれる「バーキタザワ」はいまでも営業中のようなので、ここは千草が持っている物件だとばかり思っていたのですが、どうもそうではないのかもしれませんね。

c0135618_2255628.jpg 下北沢に店を出すことは、ある種ステイタスなのかもしれません。以前雑貨屋さんだったところが、こんなオシャレな店に様変わりして、そこそこ行列ができています。
 メインストリートの、それもど真ん中に立地するところなので、果たして家賃はいくらくらいするのか分かりませんが……というか、そういう目でしか見ない私というのも、なんだか夢がないヤツだなあと飽きれてしまうのですが(苦笑)。

c0135618_2255060.jpg 小田急線の線路、そして駅が地下にもぐり、開かずの踏み切りという問題は解消されたようですが、もう1年以上が経つというのに、いまだに地上はこんな風に工事中、のままです。
 いったいぜんたい、ここはどのようにしたいのか、どうなった状態が完成形なのか分かりませんが、どちらにしても、街の景観とか、清々しさとかは、いっさいお構いなしのようです。
 一時、「防災上の」理由だとかで、ごみごみした街を一掃し、広い道路を作らんと、店舗をいっせいに撤去させたりしていたことがありましたが、その撤去したあとに違う店が入ったり、新たにスーパーができたり、なんだか一貫性のないことばかりが続いている、という感じです。
 この街をどうするかで、どなたかの懐が潤うのかどうなのか、こちとら庶民にはいっさい分かりませんが、今のところ、時間関係なく訪れる若者パワーが、必死でそれを阻止しているような感じにも見えたりします。

c0135618_2255917.jpg かつては、空いている台を探すのも一苦労、といった感じのパチンコ屋「ミナミ」ですが、時代の移り変わり、人々の趣味、志向の変化には抗えず、現在閑古鳥が鳴いている状態です。
 パチンコの潜在ファンというものは決して減っていないと思うのですがね、つまらなければ客足は遠のき、客が減れば店側は釘を締め、という、これまた悪循環で現在の状態に至っているのかもしれません。
 それにしても、久しぶりにちょっと店内をのぞいてみたのですが、私がこの店によく通っていた10年前と同じ店員さんが今もいて、職場としては結構いいところなのかもしれません。転職させていただこうかな(笑)。

c0135618_226118.jpg まあ、なんだかんだいっても、この店がシモキタにある限り、私はこれからも、せっせせっせとこの街に通うこと、間違いありません。
 まあ、いまやどの街にでもある大衆酒場「紅とん」ですが、どういうわけか、ここのカウンター席が、一番落ち着いて、ゆったりとお酒を飲むことができるのです。
 シモキタという場所柄、ときどき演劇かぶれのうるさい若者がギャーギャー騒いでいたりしますが、私はイヤホンで音楽を聴いたり、メールを打ったり、そうそう、このブログなんかも書いたりして、ちょっとした書斎状態ですから、全然気になりません。
 それに、ここの店員さんはいつも感じがよくて、さりげなくちょっとした会話を楽しむことができて、最高なのです。
 ときどき、場末感たっぷりの(客層の)下高井戸店に浮気したりもしますがね。
 でも、どうして同じ店なのに、こんなにも客層が違うのか、ちょっとした驚きです(笑)。
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by yochy-1962 | 2015-05-20 22:28 | Tokyo迷子ウォーキング | Trackback | Comments(0)
c0135618_0405164.jpg 友人達との恒例、煮込みマラソン(略称にこまら)ウォーキングの季節がやってきました。
 今回はここ、日本橋高島屋前に集合。相変わらずの重厚感ある建物。ハイソで、おしゃれなご婦人達が行き交う中、あきらかに場違いなヤツが佇んでいると思ったら、やはり友人でした(笑)。

c0135618_041021.jpg  高島屋さんには、トイレだけお借りして出発。
 日本橋とか銀座近辺は、地方のアンテナショップが乱立している感があります。このあたりに出店するのがステイタス、なのかもしれません。家賃高そうだけどね。
 ここは奈良県のアンテナショップ。私の「弟」、せんとくんと感動のツーショットです。

c0135618_0411630.jpg このあたり、はるか昔は海の近くだったらしく、海苔やかつおぶしのお店が、その名残を感じさせてくれます。
「にんべん」というかつおぶしで有名なお店では、100円でかつおぶし、こんぶの「だしスープ」を飲むことができます。
 さすが専門店だけあって、香りがよい、濃厚なだしではありましたが、相当量の塩を入れないと、いつも飲む「だし味」にはならないのです。
 ……ということは、顆粒のインスタントの「だし」にはすごい量の塩分が含まれているのですね。くわばらくわばら。薄味に慣れないといけないようです。

c0135618_0412789.jpg ビル群の中に、こんな神社があるのでした。
 福徳神社といって、なんでも貞観年間(859~876年)からこの地にあったのだとか。稲荷神社で、いまでこそこじんまりした神社ですが、昔は広く、立派な社殿だったのだそうです。
 十分ご縁がありますようにと、15円のお賽銭で、図々しいくらいたくさんの願い事をしてまいりました。

c0135618_0413090.jpg ぷらぷらと人形町に移動。行列のできるたいやき屋さんに、せっかくだから我々も参入です(ホントは、友人ひとりに並ばせて、私はそのあたりを探索、おせんべいなど買い求めたりしていましたが)。

c0135618_0452546.jpg これが、行列のできるたいやきです。
 生地がふわふわっとしたホットケーキ状ではなく、かりっとして、ちょっとやわらかいクッキーのような食感がグーです。これなら、飽きることなく2つくらいはイケそうです。

c0135618_0454288.jpg 水天宮は改装中で残念。まあ、安産の神様だといいますから、関係ないんですけどね(苦笑)。
 いくつもの橋を渡り、門前仲町に向かう途中に、この通り、昭和30年代にタイムスリップしたような空間があります。
 ちょっと、横浜の野毛あたりにもこんな感じの一角があったと思いますが、超高層マンションが建ち並ぶ中、「浮ついていないで、しっかりと大地に足をつけて生きろ」と叱られているような気持ちにもなります。

c0135618_0454660.jpg 富岡八幡宮といったら、伊能忠敬と、昔の力士の手形です。
 一応、大人の男性の手と比べてみましたが、あまりにも大きすぎて、ホンマかいな、なんて思ってしまいますね。

c0135618_046196.jpg またいくつもの橋を渡り、ぼたん園などを巡り、佃島で佃煮を買うのは時間的にあきらめ、月島の煮込み専門店(?)「げんき」に移動です。
 実は今回、東京三大煮込みのひとつといわれる「岸田屋」の煮込みを堪能しようと目論んでいたのですが、その話を別の友人に話したところ、「絶対にこっちのほうがオススメ」と言われ、訪れてみることにしたのでした。
 平日の15時30分から3時間ほどしか営業していない、というより、本来ここはテイクアウト専門店なのではないでしょうか。店の外に、オープンカフェのようにいくつか椅子が置いてあって、そこで煮込みをちょっとつまむ、という感じのお店です。
 すでに常連客さんたちでにぎわっているところに、我々も混ぜていただきました。

c0135618_046413.jpg こちらが、このお店自慢の煮込み、というより「和牛もつ串」、上が「フワ」(肺)の串です。1本140円です。
 これが、美味! でした。柔らかく煮込まれたもつ、フワはいっさい臭みがなく、わりとあっさりとした味付けでしつこくなく、いくらでも食べられちゃいます。
 お酒はハイボールと日本酒のみ。その代わり、自分の好きな飲み物を持ち込んでも大丈夫、とのこと。みなさん、思い思いの飲み物で楽しんでいます。
 店のオバちゃんは、どんなに忙しくても嫌な顔ひとつせず、笑顔がとても素敵な方でした。
「ウチはね、芝浦の食肉卸しからもつを買っていて、全部和牛なのよ。だからおいしいの」と解説。なるほど。美味さの秘密がよくわかりました。
 オバちゃんひとりで店をきりもりしているので、あまり忙しい思いはさせられないと、しめ鯖とか焼き空豆とか、別のメニューは遠慮しちゃいましたが、外で飲むのに絶好の季節、天気で、とても気持ちいい「小休止」をすることができました。

c0135618_046897.jpg さて、休養たっぷりの我々はまた歩き出し、勝どき橋を渡ります。
 左を見ればご覧の通り、東京タワーが見えてきます。そして右を見ると、てっぺんだけですが東京スカイツリーも眺めることができ、いっぺんに2つのタワーを拝むことができる、珍しいスポットといえるのかもしれません。

c0135618_0461123.jpg 築地近辺は、ビジネスホテルもこのように「築地仕様」です。

c0135618_0461440.jpg 新しくなった歌舞伎座は、地下に大きなグッズ売り場があり、いろいろな食べ物や、ユニクロとコラボした歌舞伎Tシャツなど販売していて、多くの客で賑わっていました。
 歌舞伎界も時代に取り残されないようにと、いろいろと頑張っているんだなあと、思わず感心。なにも買わないで出てきてしまいましたが。

c0135618_0461958.jpg 有楽町に向かう途中には、これまた、昭和にタイムスリップするような一角がありました。再開発に取り残されたのか、意地を張って頑なに残っているのか、どちらにしても、味のあるスポットではあります。
 この日は営業していませんでしたが、怪し気な食べ物屋さん、入ってみたかったなあ。

c0135618_0462310.jpg 銀座です。
 日本一高い地価(鳩居堂)の上に立つ、お安いヤツ(笑)の図、です。

c0135618_0504895.jpg 「あれ、ここ、なんだっけ」と思い出してみたのですが……そう、松坂屋でした。
 改築中なのですね。
「東京って、完成形というものがないよね。必ずどこかが改築していたり、工事していたり……」
 友人の名言です。
 確かにそうですね。まあ、これから東京オリンピックに向けて、いろいろなところが作り替えられ、古いものは壊され、あるいは隠され、2020年に一応の完成形、というものが見られるのかもしれませんがね。
 すっかり何かから「取り残された」私は(苦笑)、これから変わるのか、それとも隠されるか、どうなるんでしょうね。
 まあ、歩きましょう。

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by yochy-1962 | 2015-05-04 12:42 | Tokyo迷子ウォーキング | Trackback | Comments(0)
c0135618_21452312.jpg 風薫る5月の4日。恒例、友人達との「迷子ウォーキング」。今回は水道橋からのスタートです。
 私は、前日3時間しか寝ていないにもかかわらず元気いっぱい。ろうそくが消える寸前の如く、最後の力を振り絞っているかのようにはしゃぎまくってのスタートです。
 もしかして、まだ酔っぱらっていた状態だったのかもしれません(苦笑)。

c0135618_21453030.jpg このあたりは、以前勤めていた会社近くということもあり、懐かしい気分で「あっ、あの定食屋、また長期休業している」「あっ、あの居酒屋なくなっちゃった」などと感慨に耽りながら歩きます。
 本郷に入り、ここは宮沢賢治が住んでいたという場所です。
 賢治は、東大前のガリ版屋で働きながら布教活動をし、1日に約300枚ほどの原稿を書いていたのだとか。「どんぐりと山猫」などは、ここで生まれた作品なのだそうです。
 それにしても1日に300枚……。おそろしい子っ。

c0135618_21453711.jpg 「せっかくここに来たのだから、一葉の住んでいたところも見よう」というH氏の提案で、迷いに迷いながら、菊坂からちょっと外れたところにある、樋口一葉の旧居跡にたどり着きました。
 なんて風情のある一角でしょう。そのまま大正〜昭和初期にタイムスリップしたような、そんな錯覚すら覚えます。
 このあたりはいまでもどなたかが居住しているということなので、静かに静かに、その場を立ち去ります。

c0135618_2145491.jpg この井戸は、いまでもお使いになっているのだとか。さすがに飲料には適していないと思いますがね。

c0135618_21455035.jpg 近くにこんなのもありました。
 このあたりは坂道だらけの一角で、おまけに戦争で焼け残ったのか、古い木造の3階建てとか、古い古い建物がいまでも多いのです。
「地震があったら一発だよね〜」なんて話していたのですが、次の朝に結構大きな地震がありました。みなさま、大丈夫でしたか?

c0135618_21454949.jpg さて、ちょっと有名な旅館や「落第通り」なんていう、我々にぴったりな通りを抜け、本郷通りに出たところ、こんな店を発見。ブタと聞いたら、黙っちゃいられません(笑)。さっそく潜入です。

c0135618_21455370.jpg ここは3年ほど前にできたということで(だから知らなかったんだ)、とん汁が一杯450円。
 ちょっと値が張るなあと思っていたら、こんな大きな丼に、ドドーンととん汁さんがやってきました。
 大根、にんじん、じゃがいもなどの具が、ごろごろごろ。すごい迫力です。もうこれだけでちゃんとした「食事」です。
 それにしても私の横で、プラスご飯大盛りをペロリと平らげていたH氏にリスペクト、ですな。

c0135618_21455786.jpg さて、東京大学は現在こんなふうになっていました。安田講堂は1925年に竣工された建物ということですから、いろいろなメンテナンスは必要なのですね。
 たくさんの歴史の「舞台」となってきた場所ですから、大切に保存してもらいたいと思うばかりです。まあ、私にはなんの縁もありませんが(苦笑)。

c0135618_21455970.jpg 実は、東大の中に入るのは、今回が初めてでした。
 ここは「三四郎池」。ご存知、夏目漱石の「三四郎」からつけられたという池です。
 高校に入るとき、課題図書かなにかでこの本を読んだ記憶はあるのですが、そして、読書感想文を書いてそれなりな評価を受けた記憶はあるのですが、話の内容はまったく覚えていないボケボケな私です。確か「ストレイ・シープ」という言葉が何度も出てきたということは覚えているのですがね。
 今度、もう一度しっかり読んでみようと思ったところです。

c0135618_2146744.jpg さて、我々は根津神社に到着。
 ちょうど「つつじまつり」なんてものが開催されており、結構な賑わいです。しかし、肝心のつつじが残念ながら峠を越えており、ちょっと残念(峠を越えたあたりに行く、というのが、なんとも我々らしいったららしいのですがね、苦笑)。

c0135618_2146417.jpg 森鴎外など、いろいろな文豪の住んでいた近くにある神社であり、作品にも多く登場する神社です。
 この鳥居のところで、キティちゃんのポーチ(かな)と一緒に写真を撮っているオジさんを発見。くまちゃんを抱えながら歩いている己の姿を客観的に見せられたようで、思わずくまちゃんをバッグの中に押し込めた私でした(苦笑)。

c0135618_2146124.jpg アイスもなかが有名な「芋甚」という店の行列に参加する私の後ろ姿。すぐにくまちゃん、表に出されていますね。

c0135618_21461857.jpg ちょっと厚めの皮に、意外にも柔らかくて、さっぱりとしたアイスが美味です。ひとつ120円。3つぐらいはイケちゃいそうです。

c0135618_2148443.jpg さて、ここへ来て睡眠3時間のツケがまわって来たのか、疲労がピークに達してしまった私。
 次の目的地、南千住まで歩くことができず、日暮里経由で電車に乗ることをお許しいただきました。
 相変わらずこの商店街はすごい賑わいです。遠くのマンションが増えましたね。かつてはここから富士山が望める、ということだったのですが、もう無理でしょうかね。

c0135618_21462058.jpg で、いきなりここは南千住です。
 このあたりでは、どこからでもスカイツリーを見ることができます。東京タワーと六本木、という図にも似ていますが、ここは三谷地区。おしゃれな外国人の姿の代わりに、なぜか杖をついた男性ばかりが目につきます。

c0135618_21462573.jpg 「あしたのジョー」でも有名な、泪橋近辺。
 いまはもう暗渠になってしまっていますが、小塚刑場に行くときに渡った橋が泪橋だそうで、そうそう、この近くにある円通寺というお寺は、かつて「吉展ちゃん誘拐事件」(若い方はもうご存じないでしょうね)で、吉展ちゃんの遺体が発見された場所でもあるそうです。
 吉展ちゃんの霊をなぐさめるための地蔵がありました。
 悲しい歴史を感じさせる場所ですが、南千住駅近辺は高層マンションが建ち並び、大きなショッピングストア群があり、子どもたちの元気に遊ぶ姿が見られる平和なエリアでもありました。

c0135618_21491153.jpg 「煮込みマラソン」としての目的地、「大林(だいりん)」という名の大衆酒場に到着です。
 写真撮影はNGという情報を知っていたので、外観だけの写真。
 煮込みはスープがない状態で、柔らかく煮込まれた牛もつがおいしかったです。
 古い店ながら、きちんと掃除はされていて、とても好印象。しかし、どうしてでしょう、緊張し過ぎたのか、どっと疲れてしまいました。ごちそうさまです。

c0135618_2149418.jpg もうだいぶ遅い時間になりましたので、予定だった北千住の煮込みはパスして、浅草方面に行こう、ということで、かつて「吉原」といわれていた、艶っぽいエリアを探索しながら移動。
 いまでもそうした「艶っぽい」お店がたくさん存在しており、艶っぽく客引きなどもされましたが、残念ながら我々は色気よりも食い気、でございます。
 広い道からこの吉原エリアに入るときは、くねっと曲がった道を通って、外からは中が見られないよう、外と中の世界を「隔離」させていたのだそうです。
 その道はいまでも健在。そこに通った男性、そこで働いた女性、それぞれに、それぞれのドラマがあるのです。そして、いまでも我々は、その名残を感じながら現代を生きています。
 こういうところを歩くと、自分も歴史の中に生きているんだと錯覚させてもらえるのが、いいですね。やはり、東京は素敵です。

c0135618_2150123.jpg なんのドラマももたない(苦笑)我々は、浅草に到着。初音小路という昭和の香りプンプンのところにある、「あげまん」という串揚げ屋さんで、最後のひと暴れです。

c0135618_21502494.jpg 我々は、外のオープンスペースに陣取り、乾杯です。
 煮込みマラソンといいながら、結局今回は一度しか煮込みを食していませんねえ。
 でもそんなの関係ありません。楽しけりゃ、いいのです。

c0135618_21504962.jpg ここの串揚げは、値段も安く、いくらでもイケちゃうおいしい串揚げです。狭い店なのでトイレに行くにも譲り合いの精神が必要。お客さん同士、自然とフレンドリーになれちゃうのもいいところですね。

 ああ、楽しい一日でした。

c0135618_2151333.jpg 今回歩いたルートです。最近はスマホのアプリがこんなこともしてくれちゃうんですねえ。いい世の中だ。
 一葉の旧居住地を探しまわったところとか、日暮里から電車に乗ったところも、リアルに、赤裸々に記録してくれています。
 ああ、「大林」あたりでストップをしたので、それ以降の記録は出ていません。
 だからその後、、あんなところとか、こんなところにも行っちゃったことは、ナイショ、です(笑)。

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by yochy-1962 | 2014-05-06 00:24 | Tokyo迷子ウォーキング | Trackback | Comments(0)
c0135618_2046387.jpg ゴールデンウイーク恒例になった、友人達との迷子ウォーキング。今回は目黒近辺を流しつつの、立ち飲みの聖地、武蔵小山に乱入しようという算段です。
 っていうか、この会、いつの間にか「昼間っから酔い潰れましょう」がテーマになってしまった感がありますが……。まあいいか。
 しかし目黒から武蔵小山と、たいした距離はありません。カロリー消費もあまり期待できない、どうしよう、ただでさえ皆様から「太った?」と申し合わせたかのように言われているというのに……。
 ということで、待ち合わせの前に私ひとりで渋谷からウォーキングすることを決意。
 見慣れた渋谷の景色ですが、こんな目立つところの広告が空いているというのは淋しい限り。アベノミクスはなかなか実感できません。

c0135618_20465066.jpg 先頃地下に潜って、御用済みとなった旧東横線路沿いを歩きます。
 このまま線路沿いを歩いていけば、きっと新しい線を走ってきた「新東横線」に巡り合えると思ったのですが(電車が地上に出てくるのを見るのが異常に好きなのです私)、どうも中目黒あたりまで歩かないと無理だろうと、途中で断念。
 それにしても、せっかく地下に潜って副都心線とリンクし、便利になったはずの東横線ですが、渋谷から乗ろうとする、あるいは渋谷で降りる人にとっては、混雑が集中したりして、このうえもなく不便になってしまったようですね。
 小田急線の下北沢駅もそう。地下に潜って、それまでの「開かずの踏切」がなくなったことは喜ばしいのですが、いまだ地上高くにある井の頭線との乗り換えが、ものすごく不便になってしまいました。あちらを立てればこちらが立たず。なかなか難しいものですね。

c0135618_20473316.jpg あっという間に恵比寿駅到着。
 駅前を通り過ぎたら、えっ、草間弥生? と思うような、物凄い睨みを利かせてたたずんでいる妙齢のご婦人に遭遇。見ちゃダメ、見ちゃダメ、と思いながらも、しっかりと脳裏に焼き付けました(笑)。

c0135618_20474819.jpg このあたり、結構坂がたくさんあって、坂道フェチにとってはたまらない一角だったりします。
 狩人が昔歌った「アメリカ橋」はこのすぐ先(だったようです)。いや、私、しっかりした位置が分からず、「目黒と恵比寿の間にある〜」とか歌ってたから、いずれあるだろうなんて悠長に構えていたら、すっかり見逃して目黒まで来てしまったのでした。「恵比寿のすぐ下にある〜」とかいう歌だったらすぐ見つけられたのにね。

c0135618_2048252.jpg 山手線から見えるお馴染みの建物も、こうして近くで見ると迫力満点ですね。酔っ払って夜、いきなりこの建物を間近で見たら、きっと、わっUFOだっ! と思うに違いありません。

c0135618_20472834.jpg さて、目黒です。ここで友人達と待ち合わせです。
 きょうはいつものメンバーに、唯一の30代(態度は誰よりも大きいですが)、目黒が地元のNちゃんも参加です。

c0135618_20474811.jpg 目黒といったらホリプロです。
 昨今の芸能界はまるで疎くなってしまった私ですが、いまでもAKBの子を何人か抱えたりして、芸能界のトップを君臨しているようです。あっそうそう最近の大河ドラマ主役の人達もホリプロが多いんですよね。
 まあ、私にとってホリプロは、いまだに百恵ちゃん昌子ちゃん能瀬慶子ちゃん(笑)西村まゆ子ちゃん(大笑)だったりするのですがね。

c0135618_20481245.jpg 目黒といったら大鳥神社です。
 江戸九社のひとつとして知られ、現在でも酉の市では多くの人が訪れ、熊手などを買い求めていくようです。ふだんはこんな閑散としている神社なのですがね。

c0135618_20482070.jpg 目黒といったら寄生虫博物館です。
 入館料はタダで、結構異次元の世界に誘ってくれるその寄生虫達の形状にとても興味はあったのですが、「嫌だ! 子どもの頃の忌まわしい思い出がよみがえってくる」と約1名に言われ、見物はパス。
 このお尻は、その忌まわしい思い出をお持ちの方のものです(笑)。あっ、いまにも寄生虫達がこのお尻目がけて!

c0135618_2048350.jpg さて、目黒といったらやっぱり目黒不動尊です。正式には瀧泉寺というのだそうです。
 我々は今回裏門から入ったのですが、いままで、こんなに大きな仏像があるのは知りませんでした。大日如来像で、天和3年(1683年)の作だそうです。
 5月の爽やかな緑にマッチして、しばし心が洗われたような気がしましたよ、この悪魔な私ですら(笑)。

c0135618_204869.jpg 江戸五色不動というのがあって、こちらは目黒不動。目白不動はその名の通り目白にありますが、ではその他は? と思い調べてみましたら……。
目赤不動 ……南谷寺(東京都文京区本駒込)
目青不動 …… 教学院(東京都世田谷区太子堂)
目黄不動 ……永久寺(東京都台東区三ノ輪)→ここは行ったことがありました。
目黄不動 …… 最勝寺(東京都江戸川区平井)
……えっ、「黄」が二つもある?
 実は目黄については、ほかにも神宮前、昭島市、六本木にも存在しているのだそうで、世田谷には「目金」も存在しているのだとか。
 まあ、昔からの話なので、その当時から言われ、親しまれていたらどうしようもないですね。
 ももいろクローバーZがあり、スマイレージがある現代、のようなものだと思えばよろしいのでしょう(ってことはないか)。

c0135618_2048841.jpg さて、我々は旧・目蒲線が走っていた線路跡、現在は緑道になっているところを歩きます。いずれ小田急線下北沢近辺もこうなるのでしょうかね。

c0135618_20483626.jpg 全然人を恐れないネコちゃんの写真をパチリ。
 ちょっと迷惑そうでしたね。失敬失敬。

c0135618_20484354.jpg で、ついに武蔵小山「晩杯屋」に到着です。
 ここからは私の「武蔵小山の友」(笑)、K氏も合流です。

c0135618_20483597.jpg お馴染みの乾杯図。ひとり私の「止まって!」の号令を無視しているヤツがいます(笑)。

c0135618_20551775.jpgc0135618_20545831.jpgc0135618_20543263.jpgc0135618_0102542.jpg

 いつものように、おつまみ平均150円の安さに驚き、昼間からガンガンに飲んでいる輩の多さに驚き、楽しい時間をみなさんと共有してきました。とにかく、ひとり1500円くらいでかなりいい感じで酔っぱらい、お腹もいっぱいになるのですから、この近くに住んでいる人にとっては、毎日の食卓代わりに使ってもいい、と思えるほどの良店なのです。うーん、うらやましい〜。

 このあと行った「牛太郎」は、残念ながらゴールデンウィーク中は休みとかで残念。その代わりに行った「だんまや水産」という養老ノ瀧グループの店で我々はかなりいい感じになって、そこでひとりつぶれ、電車に押し込め、渋谷に流れ、またまた立ち飲み屋などを闊歩し、宴会は夜11時頃まで続くのでありました〜。

 あっ、ウォーキング、だったんだよな。
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by yochy-1962 | 2013-05-09 23:23 | Tokyo迷子ウォーキング | Trackback | Comments(2)
c0135618_21172762.jpg どういうわけだか、私の坂道探索においてすっぽりと抜け落ちていたエリア、市ヶ谷に満を持して参上です。
 このあたりは若い頃から馴染みがあったところですが、坂道がたくさんあるイケてる街、という目で見ていませんでした。もっとも、私がブイブイ言わせていた市ヶ谷というのは、麹町方面に向かうあたりの市ヶ谷で、坂道がたくさんあるのはお堀を越えた新宿区側のほう。こちらはあまり馴染みがありませんでした。
 小石川にある出版社に就職したものの、そこであるひとりの上司から猛烈なイジメにあい(いまだったら逆にイジメ返してやるんですけどね。まだまだその頃はうぶだったのでした)、逃げるように退職。路頭に迷う私を、駆け込み寺のように受け入れてくれたのが、ここ市ヶ谷にある教育関係の出版社でした。
 その会社では、打って変わってみなさんからかわいがっていただき、私は一から出直しとばかりに、編集アシスタントとしてみっちり編集のイロハを勉強し、そこから私の編集者人生は始まるのでした。
 その頃の方達とは、いまでも年賀状のやりとりをしていて、だから市ヶ谷という街は、私にとっていい思い出ばかりの、とても好きな街のひとつなのであります。

c0135618_21174885.jpg 防衛省の裏を回るようにして、まずは左内坂という坂を上ります。
 いわゆる市ヶ谷駐屯地、ですね。市ヶ谷駐屯地というと、やはり三島由紀夫を思い出しますが、昨今の若い人は、三島も漱石もあまり読まないのだとか。うーん、勿体ないことこの上なし、です。
 とか言いながら、高校時代に三島は全部読みました、と豪語している私ですが、あまりにも若かったため、その内容も忘れ、意味もほとんど理解しておらず、もう一度読まんといかんなあと思っているところだったりするのですが(苦笑)。

c0135618_21175881.jpg このあたりは「大日本印刷銀座」でもあります。
 昔、深夜の出張校正で大日本印刷を訪れたことがあるのですが、そのとき出されたお弁当が、嫌がらせのようにまずかったことが、いまでも思い出されます。
 もう20年以上も前の話なので、いまはそんなことはないと思いますがね。
 このあたりに、当時お世話になったフリーの編集者が住んでいて、よく通ったものでしたが、どこだったかもさっぱり思い出せず。それなのにあのお弁当のまずさだけは、頭の中にこびりついて離れないという、まったく食い物の恨みだけは……なヤツでございます。

c0135618_21181263.jpg 一度外堀通りに戻り、またもや坂探索。今度は浄瑠璃坂という坂がお目見えします。
 昔、この坂で「あやつり浄瑠璃」の小屋興行を行ったから、この坂名がつけられたようです。
 このあたり、昔は武家屋敷がたくさんあったようですが、現在もお金持ち風の家があちこちにあって、閑静だし、いいなあ、こんなところに住みたいなあと思わせます。

c0135618_21182331.jpg さきほど、大日本印刷の前を通りかかったとき、どこに続いているのかわからない歩道橋がありましたので、そこを探してみたところ、こんな感じでした。
 街全体が坂で出来ているので、さっき通った道が、はるか下の方にある、ということも当たり前のようにあります。

c0135618_21183763.jpg で、歩道橋から続いている坂が「芥坂(ごみざか)」という坂なのでした。
 ごみ坂? まさかゴミ、のことじゃないよな、と思いましたが、どうもそれは本当らしく、歩道橋ができる前は、この坂はずっと下の方まで続く坂だったようで(現在印刷工場ができてしまったので、坂道の途中で歩道橋を作ったというわけですね)、その底の方にゴミ捨て場があったようです。
 別名「暗闇坂」ともいわれるので、このあたりは、きっとゴミ捨て場に相応しい暗がりだったのかもしれません。

c0135618_21183546.jpg うっかり上のほうを歩きすぎると、もうそこは牛込です。
 神楽坂の裏手あたり、ちょっとお忍びで行くにふさわしいこじゃれたレストランとかバーとかがあるエリアです。
 別に私はお忍びする必要もありませんので、ちょっとイケてる酒屋さんの看板を写真に収めて、退散です。

c0135618_21183876.jpg またまた外堀通りまで引き返し、東京理科大などを見ながら「逢坂(おうさか)」という急勾配の坂に到着。
 坂名の由来は、読んで字の如く、恋愛にまつわる話で「ケッ」としてスルーしましたが、坂の下にある、「堀兼の井」という井戸の跡にまつわる話はちょっと悲しかったです。
 昔、後妻が先妻の息子をひどくいじめて、いたずらしないようにと庭先に素手で井戸を掘らせたのだそうです。息子は朝から晩まで素手で井戸を掘ったのだが水は出ず、とうとう死んでしまったという伝説がこの井戸にはあるそうなのですが、現代でいうところのDVですね。思わずその息子さんに手を合わせずにはいられませんでした。

c0135618_2118417.jpg 新坂。こちらもその名の通り、あるお屋敷の中に新たに道を通すことになり(そのへんでびっくりですが)、それでつけられた名前なのだとか。
 確かにこのあたり、ちょっとやそっとでは買えないような高級マンションとか、どこまでが敷地なの? と思うようなお屋敷もたくさんたくさん。
 指をくわえているだけの私ですが、まあ、オオゼキみたいな気の利いたスーパーもありませんからね、案外暮らしにくいところかもしれませんね、けっ(まあ、このあたりに住む方は、お車で紀ノ国屋あたりまでお買い物でもするんでしょうけれど。けっ)。

c0135618_21184475.jpg 庚嶺坂(ゆれいさか)。江戸初期、この坂のあたりが美しい梅林であったため、二代将軍徳川秀忠が中国江西省の梅の名所大庚嶺に因み、命名したと伝えられています。別名が多い坂でもあるようで、「若宮坂」「行人坂」「祐玄坂」、そして「幽霊坂」という名もあるのだとか。

c0135618_21185311.jpg で、この坂の先にはこんなこじんまりとした神社「若宮八幡宮」がありまして……。

c0135618_21185671.jpg もうここは神楽坂、なのです。
 あいかわらず賑やかな街です。久しぶりに立ち寄ったので、お気に入りの大学いもでも買って帰ろうかと思いましたが、残念ながら日曜日は休み。「五十番」で肉まんでも買おうかと思いましたが、ああ、そういえば夜は……。

c0135618_21185954.jpg そうでした。新宿にも「かぶら屋」があることを知り、さっそく探索してみようと約束していたのでした。
 ここのしぞーかおでん(この店では黒おでん、というのですけれども)、あいかわらず美味です。
 しかし、もっとイケてるしぞーかおでんの店を、高田馬場て発見! それはまた後日。
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by yochy-1962 | 2013-02-27 22:20 | Tokyo迷子ウォーキング | Trackback | Comments(0)
c0135618_203819.jpg 天気があまりよくなかった今年のゴールデンウィーク。それでもなんとか薄日が差していたこの日、我々の集合場所はJR「亀◯」駅です。
 さあ、亀戸でしょうか、亀有、でしょうか〜。
 別にどっちでもいいですね(笑)。そう、ここは亀戸駅です。
 今回の迷子ウォーキングは、亀戸から砂町銀座、そして小名木川沿いを流しながら、最終的に森下の有名店、「山利喜」で煮込みを食らおうではないか、という算段だったのですが……。

c0135618_2038551.jpg 「せっかく亀戸まで来たんだから」ということで、まずは亀戸天神へ。
 ちょうど亀戸天神は「藤まつり」真っ最中で、結構な混雑ぶりです。

c0135618_20381178.jpg ここからもスカイツリーが間近に見えました。亀が優雅に(?)泳ぐ池からは「逆さツリー」の姿も映し出されるのを発見。北十間川だけじゃない「逆さツリー」の名所です。

c0135618_20381550.jpg 藤は満開の一歩手前、といった感じでした。
 あまり植物には詳しくなく、花を愛でるという風流な趣味もないので知らなかったのですが、藤は「マメ科」の植物で、種子は枝豆みたいに「サヤ」の中に入っているらしいです。食えるかどうかはわかりませんが。

c0135618_2038184.jpg 「こっちまで来たから、最初に小名木川のクロスした橋を見て、それから砂町銀座に行けばいいじゃん」という提案が。
 当初の「亀戸から砂町銀座に行って……」という私のプランがいきなり崩れてしまい、ちょっと焦り気味です。
 そう、この日はこれがすべて。そんな提案など無視して、プラン通り亀戸駅に戻って、明治通りをただ下っていけばよかったのでしたが……。
 ここは横十間川。川沿いにはウォーキングコースが設けられていて、天気のよい休日なら、とても気持ちのいい散歩が楽しめそうです。

c0135618_20382133.jpg ここが「ブラタモリ」でも紹介された「クローバー橋」です。
 横十間川と小名木川がクロスするところに架けられている橋です。ちょうど真ん中あたりで、広瀬香美の真似などやったら(フリつきで)、ちょっとしたスターになれそうです(笑)。
 もちろん、ヒロちゃんにやってもらいました(笑)。
 小名木川は、徳川家康の命令により作られた人工河川で、日本橋までの物資の運送用に使われていたとのこと。春にはなかなか見事な桜が楽しめるそうです。

c0135618_20382412.jpg で、いきなり砂町銀座に着いたようになっていますが……。
 クローバー橋からから明治通りに出て、「左」を曲がっていけばすぐにこの商店街だったのですが、なにを勘違いしたのか、私、「右だよ、右」と言い張って、どんどん海の方に向かっていってしまったのでした。
 「砂町銀座」のことをどういうわけかこの時点で「南砂銀座」と思い込んでいた(汗)ところも大きな敗因でした。
 雨がポツポツ、やがて本降りへと変わり、「も〜、いったいどこにあるんだよ〜」というブーイングが吹き荒れる中、東西線「南砂町」駅あたりまで歩き、やっぱりこっちじゃないと引き戻して、やっとこの「砂町銀座」にたどり着いたのでした。
 もう足はびしょびしょ。疲れたあ。ゴメンねみんな

c0135618_20383057.jpg 「最初から砂町銀座に行けばこんなことにならなかったんだよ」という私の弁解など聞いてもらえません(苦笑)。
 仕方なく、ここの焼き鳥屋さん(テレビでも紹介された有名店)での缶ビールは私のおごりです。ちっ。
 それにしても、数年前にここを訪れたときは、もうちょっと賑やかだったような気がするのですが、ちらほらシャッターが閉ざされた店もあり、うーん、大丈夫かな、という印象でした。
 それでも、八百屋で春先にしか出ない山菜「うるい」を発見したのはグー、でしたがね。
 人目も憚らず、喫茶店でむしゃむしゃやってしまいました

c0135618_20383553.jpg 雨はやみましたが、もう疲れ切ってしまった我々一行は、このまま電車で森下に移動。
 しかし、またしても失態。「山利喜」がお休みだったのでした。
 日、祝はお休みなのですねこの店。なんて商売っ気のない……と文句を言っても仕方がありません。
 みんなの白〜い、刺すような視線を感じつつ……。

c0135618_20383856.jpg じゃあ、ってことで、のらくロードの中に入って……。

c0135618_20384136.jpg 「鳥長」というお店に潜入。
 そう、ここの煮込みも美味しいということで、知る人ぞ知る優良店なのです。
(というか、同行のHさんが人から聞いて知っていたのでした。助かりました。)

c0135618_20384436.jpg お疲れさまでしたあ。乾杯です。

c0135618_20384855.jpg 「鳥長」というだけあって、ここの煮込みは、鶏の皮を柔らかく煮込んだもので、とにかくお肉がトロットロなのがグーです。
 味は、しょうがをふんだんに利かせてあり、さっぱり、しつこくない味がとても気に入りました。「山利喜」に隠れて、森下にもうひとつ煮込みの名店があったのですね〜。

c0135618_20385151.jpg 「焼き鳥はいいの?」という店員さんには申し訳なかったのですが(だってもうたべちゃったんだもん)、刺身盛りあわせをオーダー。
 これがなかなか見事な大盛りで、この値段で(値段忘れちゃったけど)このボリュームは素晴らしいです。
 店員さんの雰囲気もよく、お客さんも、さびれた商店街でありながら満席状態。こういう、繁華街でないところで長年店を営んでいけるお店は、それなりの努力をしているもんですねー。ごちそうさまでした。

 って、ウォーキングの記事のつもりが、結局グルメ記事みたいになってしまいました(いつものことか)。
 今回は私の「思い違い」「下調べの悪さ」が露呈され、皆様には申し訳ないことをしましたが、まあ、近々リベンジツアーを企画することにしましょう。悔しいもんな(笑)。
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by yochy-1962 | 2012-05-23 22:01 | Tokyo迷子ウォーキング | Trackback | Comments(0)
c0135618_22351244.jpg 京王線の幡ヶ谷駅〜笹塚駅間、新宿駅から地下を走る電車が地上に顔を出したあたりに、小さな踏切がひとつあるのを知ってましたか?
 なんて書くと、「あっブラタモリを見て、さっそく旧初台駅あたりを探索したのだなコイツ」と思われるのがしゃくなのですが、この写真は結構前に撮ったもので、ブログに書こう書こうとぐずぐずしているうちに、テレビに先を越されてしまったわけなのであります。
 まあ私の場合は、京王線の謎を探ろうとしていたわけではなく、ただただ「電車が地下あるいはトンネルに入るところ、あるいはその周りはどうなってるのか」という、マニアなのかフェチなのか、なんだか自分でもよくわからない動機のもとの行動なのですがね。

 とりあえず近場ということで京王線、井の頭線の「出口、あるいは入り口」を調査。京王線は幡ヶ谷から笹塚の間、甲州街道に沿って走っているので簡単に見つけられました(そしてこの踏切も発見)が、井の頭線は東電OL事件で有名になった神泉駅あたり、これがなかなか見つけられなくて、あっちこっち迷子になりながら歩き、やっとの思いで、ゴーッという音とともにトンネルの中に吸い込まれていく電車が見えるエリアを発見したのでした。
 もう満足感いっぱいで、しばらくその場でニヤニヤしながら佇んでしまった私。電車内からその様子を見たら、トンネルの入り口でお化けが立っていたと思ったに違いありません。夜だったし(笑)。

 バカだなあ地図を見ながら探せばすぐじゃん、と思われるかもしれませんが、そんなことしたら迷子ウォーカーの名が廃ります。ここかな、いや違う、あれ、どこ歩いてるんだろうオレ。もしかしたら迷子になっちゃった? など、とちょっとだけ焦りながら歩きまくるのが、迷子ウォーキングの醍醐味なのですね〜。

c0135618_22345714.jpg で、笹塚駅をふらふら不審者のようにうろついていたら、こんな「京王線の歩み」なる写真ギャラリーがあるのを発見。なかなか興味深かったのでご紹介しようかと思います。
 この写真は大正時代、玉川上水に架けられていた「南ドンドン橋」と子どもたち、です。
 笹塚辺りの玉川上水は、いまでも川があったり緑地があったりとその名残を残していますが、南ドンドン橋があったところは現在暗渠になっており、その碑があるだけなのです(笹塚駅の南側すぐ)。
 それにしても当時の子どもたちの、絵に描いたような「昔感」(笑)。モノクロだから特にそう思うのかもしれませんが、今のどんな天才子役でも、この泥臭さとか、素朴さとか、それでいてふつふつと沸き上がるエネルギー感とかは出せないだろうなと思ってしまいます。

c0135618_2235377.jpg これは大正時代の甲州街道。新宿から3〜4kmほどしか離れていないというのに、すでに田舎道といった印象です。

c0135618_223584.jpg で、これは昭和30年ごろの笹塚あたりの景色。なんだか、途中戦争があったにしても、大正から昭和30年まで、大して風景は変わっていないなあという印象です。これはちょっと極端なところの写真、なのかもしれませんが。

 このあと、高度経済成長、東京オリンピック、バブル景気と、古いものはどんどん取り壊され、新しい、その代わり個性のないものがどんどんと街を変えていって、現在に至っているのですね。

 人間も同じかもしれません。
 古い者はものを言う場も奪われ、どんどんと隅に追いやられていまいがちな昨今。
 だから、我々昭和世代は頑張って、意地を張って、出る杭はガッツンガッツン打っていかなくてはなりませんね(そういう着地点?)

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by yochy-1962 | 2012-03-04 23:30 | Tokyo迷子ウォーキング | Trackback | Comments(0)
c0135618_21584975.jpg 引っ越して早1か月。なんとか荷物も片付き、近くのコンビニ、クリーニング屋、駅までの近道、新しいウォーキングコースなど、少しずつ覚えていく楽しさを満喫している毎日であります。

 しかし、いくら若く見られても我が脳味噌は確実に40代末期のブツに違いないようで、いまだにどうしても新しい電話番号が覚えられず、新しく何かのメンバーズカードを作るときなど、そのたびに電話番号欄のところで「え〜と、あの〜、その〜」とうろたえてしまい、結局「すみません携帯番号でいいですか」ということになってしまうのが悲しいところでもあります。

 で、気分一新ということで、これからは「風水」にもこだわったり、もっとまめに掃除をしたり、いらないものはとっとと捨てるくせをつけようと思っているところです。
 まあ、風水については別に書物を読んだり、わけのわからない水晶のようなものを飾ったり、ということをするつもりはありませんが、いつでも部屋をきれいにしたり、風通しをよくすることだけでも、風水的には「よし」とされることらしいですからね。最低限それだけはずっと守っていこうと思っています。

 実際、そういう「きちんとした生活」を心がけるようになって、いろいろなことがいい循環で回り出したような気もします。まあ、気のせいといわれればそれまでですが、いままでだったらドッスーンと奈落の底に落とされていたかもしれない物件が、サッと背中からパラシュートを取り出し、無事着陸させることに成功したのも(なんのことかわからないでしょうが。後日書こうと思います)、きっと現在の生活があってのことだと信じているわけであります。

 風水といえば、先日酒の席である男性から聞いた話なのですが、その男性、いつも「ここぞ」というときは真っ赤な「勝負パンツ」をはいて出かけるのが常なのだそうです。
 そう、赤はエネルギーの象徴。赤いパンツをはくと元気が出るとか健康になるとか、いろいろ言われていますからね。彼もそれを信じてそのようにしていたらしいのですが、ある日、会社でプレゼンがあるというときに、そのパンツをはいて出かけようとしたところ、洗濯してしまったのか何かで赤いパンツが見当たらず、仕方なく、ショッキングピンクのローライズパンツをはいて出かけたというのでした。
(まあ、なんでそんな色のローライズパンツが手元にあったのか、という問題はさておき)

 すると、会社に行く途中でどういうわけか調子が悪くなり、その場に倒れ、彼は救急車で運ばれる羽目になってしまったのでした。
 彼は身動きのできない体であっても心の中は「あっ、ヤバい、今日はピンクのローライズ……」と思っていたのですが、そんなこと言ってはいられません。あたりまえのように病院で服を脱がされ、パンツ一丁になってベッドに寝かされることに……。

 「うわっ、恥ずかしい、どうしよう」と思いながらも、「まあ、もういいや、どうにでもなれ」という気持ちで、ピンクのローライズ姿で大の字になって寝ていました。まあ、病院側からしても、患者のパンツぐらいで大騒ぎするほど暇ではありません。看護師さんたちはみなさんてきぱきと、パンツのことなど気にもしていません的な感じで仕事をこなしてくれているようでした。

 しかし、その中でひとりだけ、少々年配の看護師長らしき女性が、なんだかぬめーっとした視線を彼に送り、ピンクのローライズ周辺をゆっくりゆっくり歩いている、と感じられたのでした。
 その師長さんは、なんだかんだと彼のまわりにまとわりつき、若い看護師さんたちが事務的にいろいろ言うことを、その後にわざわざ復唱しにやって来たり、あげくの果てに「お若く見えますね〜」といセクハラもどきの発言をしたりして、それは彼が病院を出るまで続いたというのでした。

 「ああ恐かった。なにがあるかわからないから、ピンクのローライズなんてはくもんじゃないね」と話は終わったのですが、これがもし赤い勝負パンツをはいて出かけた日だったら、彼は倒れることもなく、事件(?)の顛末も変わっていたかもしれません。

 ……なことはないと思いますがね。

 じゃなくて、私も、ピンクのローライズこそ持ってはおりませんが、ここだけの話(堂々と言っちゃってますが)、毎日ウォーキングをしていると、パンツの「劣化」が結構激しくて、新調したパンツも、たった半年ぐらいでお股のあたりが破れてしまったりするのです。
 まあ、日頃そんなに高いパンツを着用しているわけでもないので、別にいいのですが、ゴムのあたりはまだまだしっかりしてるのに、なんだか勿体ないなあと、破れていても平気でそのパンツをはいちゃったりしていたのです。
 しかしその話を聞いて、ああやっぱりダメだ、王子のパンツに穴が……と病院でウワサになるのも恥ずかしいなと、今日ユニクロで大量にパンツを購入してきたところ、なのでした。

 なんだかなあ、風水の話を書こうと思ったのに、結局自分の恥ずかしい話を披露して終わり、かあ。情けない。
 誰にも言っちゃ、ダメよ。
(ああ、写真は世田谷羽根木公園の梅です。梅まつり開催中ですが、咲いていたのはこれくらいでした。)
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by yochy-1962 | 2012-02-12 23:14 | Tokyo迷子ウォーキング | Trackback | Comments(4)

by yochy-1962