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編集王子

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カテゴリ:仕事( 37 )

c0135618_215908.jpg「あれ? それならアシスタントさんにやってもらえばいいのに」
 本のカバーデザインの校正紙を、本の形に切っていたときに言われた言葉です。

 御存知の方も多いと思いますが、校正紙の四隅にある「トンボ」という、鍵の形になった二本の線。この内側に合わせてカッターを入れると、仕上がりと同じ寸法の校正紙が出来上がります。完成図を確認する意味でも大切な作業です。
 まあ、それほど大変な作業でもないので、編集部の多くのみなさんは大学院生のアシスタントさんにその作業をお願いしているのですが、私はいつも誰にもお願いせずに、しこしこと、カッターと定規を駆使してトンボとにらめっこしている毎日です。

 私が、それこそ「編集アシスタント」だった20代前半の頃は、毎日毎日、こういう作業ばかりしていたものでした。
 今でこそデジタル化が進み、クォークとかインデザインなどの編集ソフトが主流になって、印刷会社に入れる前に、出来上がりに近い形の校正紙を確認できるようになりました。ホント、写植とか、トレスコとか、もう「死語」ですもんね。
 しかし当時はそんなものありませんでしたから、原稿、あるいは写植の状態から印刷会社に入稿し、それからが校正作業、というパターンが主流でした(入稿してからやっと校正を始めるなんて、「下」の編集がすることだ! なんて力説する先輩編集者もいましたが。とりあえずそれはさておき)。

 まあ、文字だけの本を見るのなら、わざわざ校正紙を出来上がりの形に切る必要はないと思いますが、絵本とか写真集のように、出来上がったとき、思い通りの形に絵が入っているかどうか確認するためには、どうしても校正紙を綺麗に切って確認するしかありません。
 当時私は、絵本、写真集を多く手がける出版社に勤めていました。だから200ページほどの写真集の校正紙を、著者分と校正用その他諸々で全4部作って、という命令を仰せつかることは日常茶飯事。何時間もかけて、ちまちまとトンボとにらめっこ、なんてことをしょっちゅうやっていた毎日なのでした。

 特に、この作業をよく私に命じるひとりの先輩編集者は、自分の外見とは違う(失礼)とんでもない美意識の高い方でした。ちょっとでも汚い切り方をすると「ダメだよ〜こんなんじゃ著者に渡せないよ〜」なんておっしゃられるので、手を抜くことはできません。
 そして、写真集や絵本で使う紙はなかなか厚く、綺麗に仕上げるためには、カッターの刃はいつも鋭く尖っていなければなりません。左利き、そしてとんでもなく不器用な私は、しょっちゅうカッターで自分の指を切り、流血騒ぎを起こしたものでした。

 とにかく、目の前の仕事をしっかりこなすことだけ。なにかをしたい、という前に、なにをすればいいのか、自分にはなにができるのかを探すだけの毎日でした。
 一心不乱にトンボと格闘し、だいぶ慣れて、紙を切らせれば天下一品と自他ともに認められるようになった頃、私は「アシスタント業」から解放され、半分一人前(みんな言葉があるものか)の編集者へとステップアップしていくのでした。

 現在、なんの迷いもなく、というよりも「天命」の如く、編集者として人生の後半戦に突入している今日この頃ですが、ときどきこうした、昔の、「おいらはこれから先、どうやって生きていくのだろう」「どういうライフワークというものを見つけて生きていくことができるのだろうか」という、漠然とした不安を抱えながら生きてきた20代前半を思い出します。

 ただただ必死でした。一刻も早く仕事を覚えようと、前ばかりを見ていたあの頃。「お前、あの頃必死だったなあ」「頑張ってたなあ」と、あの頃の自分がなんだかとても愛おしくなることもあります。
 多分、自分の「核」の中に染み付いたそういう「必死さ」を、これからも忘れずにいるために、私はこれからも、トンボとにらめっこする作業を大切にしたいと考えているのです。

「オレね、こういう作業が好きなんだよね。アシスタントさんに頼むのはもったいなくて」
「えー、トンボ切り好きなの? じゃあ、私のもやってもらおうかなあ(笑)」
「いいよ、その代わりトンボの外側で切ってあげるけど(笑)」

 まあ、長く生きてきて身に付けた「悪魔ぶり」は、誰にも教えられることなく、勝手に絶好調。これはご愛嬌ってことで(苦笑)。

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by yochy-1962 | 2015-09-06 22:38 | 仕事 | Trackback | Comments(2)
 編集者として数十年の月日を過ごしてきた私ですが、未だに解決しない問題を抱え続けています。

 それは、「良」という字に対するスタンス、いうか、対処法なのです。

 この字はわざわざ説明するまでもなく、「よい」という意味合いのときに使う漢字なのですが、この「よい」という言葉も、実にたくさんの性格、顔を持つ言葉だったりします。
 例えば、goodの意味を持つ「良い」。「良い子」「良い意味で」のような言葉の場合、文句なく「良」の字を採用するべきだとは思います。
 しかし、「~しても良いと思う」とか「そこには良く行きます」のような、goodという意味合いでない「良」の場合、この漢字を使うのは、あまり相応しくないような気がするのです。

 それに、goodを表す「良」でも、文章の流れでは「よい」と読むよりは「いい」と読んだほうがしっくりいく場合があります。「よい味」というより、「いい味」といったほうがその文章の書き手のキャラクター付けには役立つ場合もあります。そういう場合、果たして「良」という漢字を使うのは「良い」ものか、大いに悩むところなのです。
 それに、内容によっては「良い」と書くよりは「好い」と書いたほうがしっくりいく場合もあるのです。

 このように、ファジーで困ったちゃんの「良」の字。別に好きにしていたらいいのですが、編集者としては、原稿整理の仕事をしていると、ある程度の表記統一をしなくてはいけない場面に遭遇し、そしてその都度私は悩むことになるのです。
 で、いっそのこと、「よい」「いい」と読む「良」の字は全て開く、つまり平仮名にしてしまう私なのですが、その文章の書き手さんから、「なぜこの字を平仮名にするの」と聞かれたとき、明確な回答を提示することができず、あたふたしながら「はい、私の流儀でして」と答えることしかできず、ん~日本語って難しいなあと、つくづく思う今日この頃、なのであります。

 そこで、私は提案するのです。
 この世から「良」の字をなくしてしまえ!
 そう、この字さえなければ、私は日々の作業をにこやかに、微笑みすら浮かべながらすいすいすいっとこなすことができるはずなのです。

 申し訳ございませんが、日本語から「良」の字が消えるのですから、「良子」さんには「りょう子」「よし子」、あるいは「亮子」さんあたりに改名していただきます。
 「良男」さんには「義男」「由雄」、あるいは「よしを」とかに改名していただくしかありません。申し訳ございませんが、お願いいたします。

 しかし、同じように「無」という字もなかなかファジーな漢字です。
 ある、ないの「無い」ならいいのですが、「そんなことは無い」という場合、そしてそれを漢字にした場合、文章は「無」だらけになってしまう恐れがあるのではないか……。
 そうだ、「無」も全部無くしてしまえ!

 ああそう、「わかる」という言葉も、「分かる」「判る」「解る」の字がエントリーされ、厳密にいえば意味合いはそれぞれ違うのでしょうが、果たして書き手がそれぞれ意味を理解して使っているのか、それは分かりません。これも全て無くしてしまえ!

 それでやっと、平和な、良き日本語の世界が訪れるのではないかと言うものなのです。
 悩むことが無い、誰もが分かる素晴らしき良き日本語の世界よ、来たれ!

 はっ、そうだ、「言う」という言葉も困ったものです。
「そう言う」とか「と言われている」とか、「SAY」でない「言う」は撲滅するべきではないか……。

 バカなことばっかり言ってないで、もう寝ましょ。
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by yochy-1962 | 2015-06-16 23:40 | 仕事 | Trackback | Comments(0)
 人の文章にケチつけたり(苦笑)、なにも肩の凝らない、バカみたいな(このブログみたいな)文章ならスラスラスラとできるのになあと思いながら、きょう一日「お仕事の」原稿書きに苦しめられ、アップアップな感じでやっと、とりあえず一段落、という午前様を迎えている私です。

 いや、ホントのところ、まだ全部は完成していないんですけれど、もう私の脳味噌は打ち止め状態。いま私の頭の中を覗いてみたら、「スカ」と書かれた紙がぺらっと入っているだけでしょう。
 だから、明日は会社を休ませていただいて、残りの原稿をえいやっと片付けようと、現在決心しているところなのであります。

 だったらこんなブログなんか書いてないで、とっとと寝ろ、って感じですが、ほら、嫌な上司と飲んだあと、もう一度飲み直さないと家に帰れないとか、ありませんか? それと同じで、「わあい、どうぶつだあ、きょうりゅうだ」というような原稿を書いたあとは、こうして「でへへーん、へろへろへろ」的な文章ですっきりしないと、たぶん心地よい睡眠はとれないと思ったわけなのです。

 それにしても、たまりにたまった原稿を徹夜で仕上げ、朝そのままご出勤、なんて離れ業ができたのは、いつまでだったでしょうか。
 そして、あまりに集中し過ぎて、気がついたら6時間ほどぶっ続けでパソコンの前にいた、なんてことができたのは、いつごろまでだったでしょうか。
 なんだか、集中力の持続が、確実に低下しているのがわかる昨今です。
 ああ、仕事に入る前にウォーキングをして脳の活性化を図らなくては、と表に出てみたり、ああ、しっかり栄養もとらなくてはと食材を買い込み、料理に精を出してみたり、なにか調べ物でインターネットをしているはずだったのが、いつの間にかYouTube閲覧タイムとなっていたり、気がついたらスマホを見ながらニヤニヤしていたり……。

 仕事の内容にもよりますが、やはり、自宅ではなかなか仕事はできないものですね。これまで、コーヒーショップなどでノートパソコンを広げ、なんだか賢そうにパチパチやっている人を見ては、「ふん、気取っちゃって」という目で見て来た私ですが、案外、なにも誘惑物もない状況に自分を追い込まないとコトが進められない、私と同じタイプの人達なのかもしれないなあと、最近思うようになりました。
 オレもノートパソコン、買おうかなと、本気で思う今日この頃です。

 じゃあ、やっときょうはお休みです。
 最近自分の中で再ブレイク中の、谷山浩子さん「おやすみ」を聴いて寝ようと思います。


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by yochy-1962 | 2014-03-17 00:58 | 仕事 | Trackback | Comments(2)
c0135618_195559100.jpg 仕事で、画家であり神道家である「岡本天明」という人のことを調べていたのですが、千駄ヶ谷の「鳩之森神社」とこの方に、なにかしらの縁があったということで、ちょっくらウォーキングついでに行ってみようかと思い立ったのでありました。
 現在見事に「色づく街」の千駄ヶ谷近辺です。

c0135618_19563828.jpg この神社は、以前「ブラタモリ」でも紹介されていましたが、富士山を模した「富士塚」があることで有名。しかし、私自身この「富士山」登頂は初めてです。さあて、日頃のウォーキング効果が出ますでしょうか〜。
 静かな場所だと思っていたこの神社ですが、テレビの影響か、結構賑わっているようですね。

c0135618_19564387.jpg この富士塚は寛政元年(1789)に作られたといわれ、頂上近くには実際の富士山の熔岩が配置されているのだそうです。
 富士塚は確か品川にある神社にもあったと思います。また、地名で「富士見町」とか、坂にも「富士見坂」なんてのが、東京にはたくさんあり、昔から江戸の人にとって富士山は特別な存在、信仰の対象になっていたことがわかります。
 私のような「しぞーか人」は、毎日毎日でっかすぎる富士山を、ごく当たり前のように眺めながら通学していたものですから、その有り難みというものがいまいちピンとこなかったりします。バチ当たりですなあ。

c0135618_19563957.jpg いざ、登頂開始。ちゃんと階段もありますし、それほど難しい登山ではありません。でもこの先、どんな苦難が待ち受けているかもしれませんぞ、気を引き締めて、えっちらこっちら……。

c0135618_19565039.jpg 1分もかからずに、富士山制覇!(苦笑)
 いや、あんまりにもあっという間すぎて、途中途中にあるという洞窟やらなんやら、全然気がつきませんでした。
 とりあえず、この世のすべての人に幸せがやってきますようにと、お祈り。
 え、ホ、ホントですよ〜。最近この手の参拝では、いつもこんなことをお祈りしている私です。いや、金だ名誉だ……なんてのは、お祈りしたから手に入るってものじゃない、ということは、もうこの歳になれば分かりますもんねえ。

c0135618_1956472.jpg 頂上から見た絶景……ではなく、この日は、餅つき大会やら福引き大会やら、地元の方々が集まって楽しんでいるご様子でした。
 邪魔者はすぐに退散。ここから原宿を経由して、明治神宮でもう一回参拝。そのまま歩いて自宅まで。結構カロリー消費しました。でへへでへへ。

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by yochy-1962 | 2013-12-09 21:05 | 仕事 | Trackback | Comments(2)
c0135618_2231213.jpg あいにくの雨模様の、とある土曜日、ニヤニヤとした顔で下り立ったのは、こんな駅。
 そう、府中にある「東京競馬場」にやって来たのです。
 この日は、仕事でお世話になった方に誘われ、凱旋門賞前の、ちょっと緩〜い(?)、平和な競馬観戦をしようではないか、と相成ったのでした。


c0135618_2233391.jpg 一心不乱に競馬新聞とにらめっこしている、なんだか明らかに違う(苦笑)電車内の客層にちょっと戸惑いながら、そして正門前で酔っぱらって倒れそうになっているおっちゃんがいたり、どこで売ってるのその模様のシャツ、どう言ったら床屋さんはそういう髪型にしてくれるの? という方達がわんさかいて、ちょっとしたカルチャーショックを隠し切れない私でしたが、……いや、私も十分この空気に馴染んでいたかもしれません。同じく世捨人ですからね。……なんて、大変失敬。

 しかし恥ずかしながらワタクシ、この歳になって競馬場初潜入なのです。
 いや、競馬そのものは、一度だけ体験しているのです。競馬好きの友人に、当時あった新宿の馬券売り場に連れて行かれ、せっかくだからちょっとオイラも買ってみようと、あるメインレースの馬券を買ってみたのですが、へそまがりな私は、友人が「これだよ! これが大本命」というお馬さんには目もくれず、色気を出して倍率のちょっと高い馬券の一点買い。見事に玉砕したという経験があったのでした。
 そう、ビキナーズラックは、私にはなかったのでした。
 
 本気で競馬に勝とうと思ったら、それなりにいろんなことを知らないといけないのでしょうが、それでも簡単に勝つものではないし、私には他にも勉強しなきゃならないことはいっぱいあるし、これは自分のやるもんじゃないと、早々に降参、といった感じだったのでした。


c0135618_224147.jpg しかし、きょうは競馬の「プロ」、先生といっしょですから、心強いものです。先生はいわゆる「ゲン担ぎ」や「オカルト」で予想するのではなく、これまでの統計、天気、体調(故障明けだったり連戦後だったり、いろいろ)、騎手などいろいろな情報をもとにレース結果を予想して、その的中率は、まあびっくり、というお方。
 その方の言う通りに馬券を買っていれば、きっと間違いありません。帰りはマンションでも購入しよっかなあ〜(夢見過ぎ)。
 それにしてもこの大スクリーン、生で見ると、その迫力に度肝を抜かれます。


c0135618_224989.jpg あいにくの天気でしたが、指定席をとってくださったおかげで、この通りゆったり観戦できました。
 さすがにお金をかけて指定席を取る方達は、競馬新聞を隅から隅まで読みふけったり、ノートパソコンを駆使したり、ほとんど会話もなく、真剣そのもの。私のように浮かれて、キャッキャ言いながら写真を撮るヤツなど、ひとりもおりません。


c0135618_224937.jpg 競馬場に行ったら、まず、出走前のパドックを見るのが、とても参考になるということです。
 先生がおっしゃるには、落ち着いて、前の馬に差を付けられずに、外側を歩いている馬が、調子がいい、とのこと。
 なるほど、こうして見ると、足取りが軽くて「ああ、調子良さそうだなあ」と思える馬が、私の目からもよくわかります。
 で、先生が競馬新聞にチェックした印を見ると、やはりそういう馬にはちゃんと◯がつけられていて(それも事前に)、さすがです。
 イヌのように尻尾をふりふりしながら、じゃれついているように歩いている馬は、落ち着きがなくてあんまりよくないのだとか。


c0135618_2241615.jpg それにしても昨今の競馬場は、家族連れでも楽しめるように、いろいろなコーナーが設置されていて、とてもきれいなのですね。だいぶ印象が変わりました、って昔を知らないのですが。
 ちょっとしたおしゃれなレストランもあったり、東京競馬場は、晴れた日には富士山も望めるとあって、浦安のネズミーランドなんかより、ずっと安価で、デートにはもってこいなのでは、と思いましたよ。
 ビールにもお馬さんマークが。かわゆし。捨てないで持って帰ってくればよかったかな。

 で、私のような初心者は、一頭買いではなく、「複勝」で買うのが、間違いがなく、確実ということで、それも一口100円で馬券購入。まあ、お遊びですからこれでいいのです。


c0135618_2242214.jpg 結果は、1レースに300円〜500円の投資で、6レースほど投資して、結局トータルで1000円ぐらいの負け、でした。
 いや、もっと確実に、色気を出さずに買えば、もしかしたら収支はプラスになったかもしれませんが、もとからのギャンブラーの血が騒いで(苦笑)、ちょっと倍率の高い馬をちょろっと混ぜたりしたものだから、こんな感じです。

 しかし、これだけ長い時間楽しんで、気分転換にはもってこい、でした。もちろん、いろいろな説明をしてくださった「先生」がいらっしゃったからこそのことですが、ちょっと私もいろいろと勉強して、本格的競馬デビュー、しちゃおっかな、と思った一日でした。

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by yochy-1962 | 2013-10-09 22:58 | 仕事 | Trackback | Comments(2)
 「私は全面的にあなたを信頼してますからね、あなたの思う通りでいいですよ」
 ……長年編集者という仕事をしてきて、誤字・脱字の見落としは日常茶飯事、カバーの寸法間違いで青くなったり、大事な原稿を変なところに置いたがためにゴミ箱行きになってしまったり、ちゃんと連絡をしなくてカミナリを落とされたりなど、さまざまな失敗ばかりしてきた私ですが、これほどの賛辞を言われたことはただ一度だけでした。
 そう、これ以上の褒め言葉をいただいたことはまだありません。

 「あなたはホントに素晴らしい! その一言に尽きます」
 その方は、こうも言ってくださいました。
 いや、私はその方の書いた原稿を、ちょっと読みやすくなるようにリライトしただけなのですが、その方は、多少通りのよくなった原稿を見て、そう言ってくださいました。
 自分の書いた原稿を勝手に直されたりすると、ムッとされたりするのが普通なのかもしれませんが、その方はきっと、大きな、大きな心の持ち主だったのでしょうね。
 できあがった本を見て、とても喜んでくれて、「これは一家に一冊、絶対に置いておくべし」と、ご自分の生徒さん達に大々的に宣伝してくださり、私のほうが嬉しい気持ちになったことを、つい昨日のことのように思い出されます。

 そんな、「編集者の醍醐味」を大いに味わわせてくださった、町田コダーイ合唱団代表でわらべうたの研究家、大熊進子先生が、5月19日に天に召されました。
 一緒に仕事をさせていただいたのは、もう10年ほど前なのですが、大熊先生とは、その後もちょくちょく連絡をさせていただき、町田の発表会には何度もおじゃまさせていただき、打ち上げの乾杯音頭もとらせていただいたこともありました。

 一時期、気持ちがどうしようもなく沈んでしまったときも、さりげなくやさしい言葉をかけてくださったり、会社を辞めたときには「ウチにおいで! 缶詰がいっぱいあるから、持って行っていいよ」などと言ってくださったこともありました。
 なんとか缶詰はいただかずに済みましたが、さあこれから、もっともっと先生の活躍できる場を提供しなくちゃな、と思っていたときの訃報でした。それが、悔しくて悔しくてたまりません。

 大熊先生に最後にお会いしたのは約4年前、町田で行われたわらべうた教室の取材でした。
 先生は小さな体であいかわらずエネルギーいっぱいでした。わらべうたを「教える」というスタンスではなく、「伝える」という立場で、あくまでも楽しく遊びながら、日本古来の、日本語のイントネーションで作られた、楽譜も存在しないわらべうたを、まるでガキ大将のように子どもたちに「伝えて」いました。
 その1年後にガンが見つかり、一時は完治したと思われたようですが、最近になって状態が悪化、しかし最期は静かに、穏やかな優しい顔で旅立ったとのことでした。

 私は、ご病気をなさったこと自体知りませんでした。あまり多くの人に、ご自分の弱っていく姿を見せたくなかったのでしょうか。先生らしいと思いました。だから、いつまでも子どもたち相手に、決して上からの目線でなく、同じ目線で真剣に向き合っていた、「ガキ大将」みたいな「進子ちゃん」の姿のままで、私の中に残り続けていくのだと思います。

 小さいときには、生まれ育った国の言葉で育てるのが大切。そして昔から伝わったわらべうたを歌いながら遊ぶのが、言葉を覚え、手先の器用さをつくり、協調性を学び、社会性を育てるのです。子どものうちから英語を覚えさせたり、英才教育的なことをするよりも、なによりも大切なことが、子どもの遊びには詰まっているのです。
 その思いを、これからの時代こそ、もっともっと声を大にして言って欲しかった、残念でたまりません。そして、あんなに先生に誉めていただいたのに、それからちっとも成長しないで、いまだに隅っこのほうでいじいじし続けている私。大変申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 実は、大熊先生がご存命中に、一度言おうかなと思っていたことがありました。
 それは、わらべうたの本を出すことになって、実際にわらべうたを子どもたちに伝えている著者を探しているとき、あるひとりの先生にお会いしたのでした。
 その先生は、とても強力に大熊先生を推薦してくださって、そしてお願いすることになったのですが、「でも、私からの推薦ってことは内緒にしてね。きっと彼女、嫌がるから」と、決してその名は言わないようにと約束させられたのでした。
 しかし、もうだいぶ経ったからいいのではないか、それによって、大熊先生の、何かつっかえていたものがあったとしたら、下りることもあるのではないかと思っていたのですが、結局、それは果たせぬこととなってしまいました。

 でも、やはり伝えておきたいと思います。今度、お線香を上げに伺わせていただいたとき、残されたご主人、お子さんにでも報告しておこうかな、と思っているところです。

 そういえば、いま私が使っているベルトは、私が写真を撮って、本に載ったわらべうた教室の子どもたちの、お母さん達から「お礼に」といっていただいたものだということに、今朝気がつきました。

 ありがとうございました。大熊先生と出会えたこと、そして先生からいただいた素晴らしい言葉の数々は、私の生涯の宝です。
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by yochy-1962 | 2012-06-05 21:43 | 仕事 | Trackback | Comments(4)
 きょう、仕事で「敵性語」について調べることがありウィキっていたところ、「へえ、戦時中はこんな言葉で言ってたんだ」と思わず笑いそうになるものがあり、ちょっとご紹介。
 ああ、「敵性語」とは、第二次世界大戦中、敵国語である英語を使わずに、無理矢理外来語を日本語に訳して使っていた言葉、のことなのですが、どうもこれは、国を挙げて言葉を変えていたのではなく、ナショナリズムに押されて自然発生的に生まれた運動、のようなのです。てっきり法律で決められたものだと思っていました。

 で、有名なところでは野球の「ストライク」を「よし」、「ボール」は「だめ」とかがありますが(これもずいぶん笑ってしまうところですが)、一番笑ったのはタイトルにもある「金属製曲がり尺八」。
 これ、楽器の「サキソフォーン」、つまりサックスのことで、ほかにも「トロンボーン」を「抜き差し曲がり金真鍮喇叭」(ぬきさしまがりがねしんちゅうらっぱ)、「コントラバス」を「妖怪的四弦」(ようかいてきよんげん)……。こんな言葉で言わなくてはいけないのだったら、もう楽器辞めちゃおう、と思った方も少なくなかったはず、です。

 ちなみに「コスモス」を「秋桜」、「ライオン」を「獅子」と言うのも、この「敵性語運動」の頃に生まれた言葉のようで、珍しく今でも残っている例と言うことができるでしょう。ま、「秋桜」に関しては、さだまさしがあの曲を作っていなければ、埋もれてしまった敵性語だったのかもしれませんがね。

 もし、いま英語圏と再び戦争が起きて、敵性語運動が活発になったとしたら、我々はもう何もしゃべることができなくなってしまうでしょう。
 パソコンは「個人的電子計算機」、キーボードは「入力用鍵盤」、マウスはそのまま「鼠」(?)、となるのでしょうか。
 じゃあインターネットは? ブログは? メールは?
 ……ずっと平和であってほしいものです。
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by yochy-1962 | 2012-04-13 22:40 | 仕事 | Trackback | Comments(2)
c0135618_2151062.jpg 久しぶりに児童書編集の仕事などしている私。ブランクを埋めるべく、最近はどんな絵本が売れているんだろう……とAmazonで調べてみたところ、いまこんな本が売れているのですね。
 この「地獄」という絵本は、もう30年ほど前に出された本なのですが、なんでも最近、とあるマンガで紹介され、「子どもに見せたら怖がって、それ以来地獄に堕ちないように、とてもいい子になった」という理由で現在ブーム、なのだそうです。

 ここでいうところの「いい子」とは、たぶん聞き分けのいい子、ということなのでしょう。きっかけはなんであれ、昨今の出版不況にあって、ブームになる「絵本」が出たということは大変喜ばしいことなのですが、これがイコール、本好きの子どもが増えてくれる、ということにはなりそうもないのが、ちょっと痛し痒し、といったところです。


c0135618_2151495.jpg そんな話を隣りのデスクの女子としていたところ、彼女が、「アタシ、小さいときに読んだ、大好きな絵本があるんだけど、いまはもう絶版で、それでも欲しくて欲しくて、2万円かけて手に入れちゃったんです」などと言うので、「えーどんな絵本?」と聞いたところ、教えてもらったのがこの「なまけもののくにたんけん」という絵本。1978年に出た、海外物の翻訳絵本です。
 「ただ寝ころがって、想像しているだけで好きな食べ物や飲み物が口の中に入って来ちゃうんですよ。もう憧れて憧れて……」(笑)。
 たぶん、「地獄」のような絵本を子どもに見せてほくそ笑んでる(?)母親にとっては、こんな絵本は「キッ、なんて不真面目な。ダメざます」と言って受け付けないのでしょうが、やっぱり子どもにとっては、お菓子でできているお家や、トラがバターになったり、というような世界が、永遠の憧れなのですよね。
 私も、絵本ではありませんが、子供用図鑑の「お菓子」という項目で、実際に作ったお菓子の家の写真があって、毎日毎日、そのページをぼーっとした瞳で見つめていた子ども時代でした。
 そんなものばかり見ていたから、現在こんな意地汚い大人になってしまった、のかもしれませんがね(苦笑)。


c0135618_2151741.jpg で、「アタシ、この絵本も大好きだったんです」と紹介されたのが、深見春夫さんという方が描いた「せかいいちのぼうし」という絵本。
 世界一の帽子コンテストというのがあって、全長10mくらいはありそうな、何人かで抱えないと歩けないような長い帽子や、たくさん帽子をかぶるための帽子など、あり得ない、楽しい楽しい帽子が出てきて、飽きることなくページをめくれそうな絵本です。

 絵本は子どものためのものでありますが、子どものため「だけ」のものではありません。一見楽しくて、夢がいっぱいつまっているようでいて、その奥に作者の願い、思想などがいっぱい詰め込まれているのが絵本の魅力……などと常々思っていた私ですが、紆余曲折の果てに(?)、最近、そんなこと関係ないな、楽しくて何度もページをめくりたくなるような本であればいいじゃないか、と思うようになったみたいです。
 もちろん、「思想が詰まった」絵本も大切です。人の人生までも変えてしまうほどの影響力をもった絵本というのは素敵ですし、そんな本を世に送り出せたらどんなにいいだろうなどと思ってしまいますが、あんまり自分でハードルを上げずに、とにかく楽しい、笑っちゃう、何度も見たい、そんな絵本をたくさん子ども達に提供することが、将来の「読者」を増やす一番の方法なんだな、と思った次第でした。

 なんだか「作家」目線な私が、なんとなく気がかりですが(苦笑)。

c0135618_2152040.jpg そういう意味で、深見春夫さんは、日本の作家には珍しいくらいの「ノープレッシャー」な絵本作家のようにお見受けして、とても好きになってしまいました。
 この「ぽんぽこトリオとおへそのしま」。
 「ある日、ぽんぽこトリオが浜辺で休んでいると、大きなおへそがヨットに乗ってやってきました」

 ……もうその導入部分だけで、ノックアウトです(笑)。

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by yochy-1962 | 2012-04-04 21:32 | 仕事 | Trackback | Comments(0)
 久しぶりに面白そうな取材、ライティングの仕事が舞い込み、よーし頑張るぞと勢い良く取材先に向かったのですが、どういうわけか先方はやる気がなく、言葉の端々にちっ、めんどくせえなあ、早く終わらないかなあ、という感じが見え見えで、腰砕け、といったある日のことでした。

 なんだか話も盛り上がらなくて、……困ったなあ、これじゃ面白い記事も書けないなあ。
 というか、別にオレは仕事でこのおばさん(同年齢ぐらいでしたが。あっ、十分おばさんか)に会っているだけなのに、おばさんの話を聞きたくて聴きたくてたまらない、というわけでもないのに、どうして「なによアンタ、アタシのことをそんな目で見ちゃって。アタシ、そんなに安い女じゃないのよ」的な目で見られなくちゃならないのでしょうか。

 まあいいや。必要なことはネットで調べて書けばいいや。もうこの取材はとっとと引き上げて、とりあえず帰って酒でも飲もう……なんて思いながら話を聞いているとき、ふと先方が「その頭は、毎日お手入れしているのですか」などと聞いて来たのでした。

 ……ここでプチン、と私の中の「何か」が目を覚ましてしまったのでした。そう、邪悪な、いつもの「アクマ」な私です(笑)。
 もうこの人とは一生会うこともないだろうし、どう思われたっていいや、適当な話を盛ってしまおう……と思ってしまったのです。


……で。


「いえ、毎日ってことはないですけれど。仕方がないんですよ。ときどき法事とか、そんなときにかり出されますからね。あっ、実家は世田谷にあるお寺なんですよ」

「あっ(驚)、そ、そうなんですか。……いずれはお継ぎになるのですか」

「そう言われてますけどね。まだやりたいことがいっぱいあるんで、いまだに逃げてるんですけれどね。この仕事が楽しいから辞められないし、ああ、私、こう見えても役者なんですよ。舞台中心ですけれどね」

「ええっ! そうなんですか。ぶ、舞台?」

「はい、下北沢の小劇場とか、そんな感じのところで細々やっているから、趣味みたいなもんですけれどね。役者だけじゃとても食って行けません。あっ、きょうチラシ持ってくればよかったなあ。宣伝できたんだけど」

「ど、どんな演劇なんですか?」

「まあ、不条理劇、ですね。理屈っぽくて、でも最終的にはみんな脱いじゃう、みたいな」

「えーっ。み、みんな?」

「さすがに女の人は下着姿ぐらいまでですけれどね」

「(啞然)……そんなことやっちゃうの? 男の人は?」

「まあ、それは観てのお楽しみ、みたいな(笑)」

「(啞然パート2)やだあ」

「まあ、盛り上がり次第、の話で。普段はまったくフツーですよ」

「自由でいいわねえ。……失礼ですけれど、いま、おいくつなんですか」

「40ちょうどです」(←全然不思議がられなかったぞ)

「お子さんはいるの? というか、結婚なさっているの?」

「はい、というか、なさってた、みたいな」

「ああ、バツ1?」

「バツ2、です」

「(啞然その3)バ、バツ2? そ、そうなんですか。……お子さんは?」

「ええ、いま高校2年です。そろそろ受験の準備しなくちゃならないんでしょうけれど。まあ一緒に住んでないから、どういう状態かは分からないんですけれどね」

「奥さん、いえ、もと奥さんのところに住んでらっしゃるのね」

「ええ。でも、ああ最初の女房なんですけれどね。アル中でね。もうこっちが引き取った方がいいかと思ってるんですけれどね。まあ、もうしばらくしたら大人ですからね。ホンニンの意思に任せようかと」

「……(啞然その4)そうですか。……なんだか大変ねえ。でも、いろいろだわねえ」




 あまり話を盛りすぎるとウソがバレると思ったのでそれ以上はやめておいて(笑)……まあ、その後最終的には話は盛り上がり、いろいろな話を聞き出すことには成功したので、このへんで許してやろう(なにが許す、だ)と思い、これ以上の話の「盛り」はやめておきましたがね。

 ああ、面白かった。「編集王子」改め「編集悪魔」の面目躍如、とったところでした。






 というか、この話もちょっとだけ「盛って」いたりするんですけれどもね(ス、スミマセン)。
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by yochy-1962 | 2011-11-02 01:30 | 仕事 | Trackback | Comments(2)
c0135618_22374089.jpg 昨年末に出ると言われていたのに、それからずっとなんの音沙汰もなかったので「んーもしかして企画が頓挫したのかなあ」と不安になっていた、「ブログカメラ」というムック本が「ブログフォトお手本ブック」と名前を変えて、やっと発売になりました〜。
 そうこの本、なんと私のブログ写真が紹介されちゃっているんですよ。ああ、この「編集王子」ではなく、別ブログ「Tokyo迷子ウォーキング2」からの写真です。しかしどういうわけか編集の方に提出した写真で、採用されたのはほとんどこの「編集王子」からのものでして……、まあどうでもいいや。とにかくやっと発売。バンザーイ、バンザーイとひとり祝杯をあげているところです。
 この本は、「人気ブログフォトのテクニックを真似しちゃおう」というテーマの本で、たくさんの「写真がかっちょいい」ブログの写真を掲載、その秘密をおすそわけ、という内容になっているわけで、ということは、私のブログ写真が「イケてる」と認定されたということですから、喜びもひとしお。我が後期高齢者カメラ、サイバーショットさんの花道としてふさわしい出来事となりました。
c0135618_22374840.jpg 私の掲載ページはこんな感じ。「Tokyo迷子ウォーキング」と言いながら、ほとんどが尾道旅行の写真、というのがなんとも苦笑、だったりしますが、まあいいでしょう。
 書店で見かけたら、ぜひ立ち読み、いや購入してみてくださいね。版元はエンターブレイン、価格は本体1333円でございます。た、高〜い。
 しかしまあ、ここに登場して来るブロガーのみなさん、ホントにプロ級の腕前なんだ、これが。すごくいいカメラ使っているし、写真コンテストで入賞しましたなんて強者もいるし……。とても参考になりますよ。おすすめです。
 オレの写真は坂道ばかりで、なんだかとっても地味。ちょっと恥ずかしいなあ、というのが正直なところ。

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by yochy-1962 | 2010-10-04 22:58 | 仕事 | Trackback | Comments(2)

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