2016年 11月 20日
人生食堂
旅行先は東京(苦笑。なにせ静岡の田舎者だったものですから)。皇居やら国会議事堂やら東京タワーやらを見て2日目、後楽園の遊園地で遊んだ後、近くのレストランで食事して、そしてそのまま新幹線に乗って帰路につく、というスケジュールだったかと思います。
当時私は学級委員などしており、クラスをまとめなくてはという責任感を持って、事故がないよう、クラスメートが人様に悪さをしないよう(笑。なわけないか)見張るため、先頭を歩いて張り切っていたものでした。
写真が教室に貼り出されると、担任の先生は、その私の写真がそうとうお気に入りだったようで、「この顔、いいねえ。食べ物の前でニコニコしちゃって」などと、事あるごとにおっしゃっていました。なんだか意地汚い子供だと言われているようで、恥ずかしくて、ちょっと嫌だなあ、なんて私は思っていたものでした。
いま思うと、ふっと気が抜けたときに見せた、私の子供らしい表情がとてもいいと先生は思ってくださったのだと思いますがね。
旅行中、よっぽど子供らしくなかったんでしょうね。しっかりしなきゃ、と頑張るばかりで、旅行を楽しんでいないのでは、と先生は心配していたのかもしれません。で、最後の最後でそういう表情を見せて、ホッとしてくれたのかもしれません。
美味しそうなものを前にしたときの、なんの飾りのない、素直な表情。子供でも大人でも、いや、動物だって、一番いい顔をするのではないでしょうか。
テレビでやっていた映画版「深夜食堂」を見たのですが、ひょんなことから食堂を手伝うことになった多部未華子が、ずっと食べたいと思っていた「とろろご飯」を前にしたときの、嬉しくて嬉しくてたまらず、箸を持って待ち構えている表情がたまらなく良くて、可愛くて、そのシーンが一番心に残りました。
自分も子供の頃、何度そういった顔をして食事を待っていただろうと思います(可愛い顔だったかどうかは未知数ですが。苦笑)。なんだか懐かしくて、きゅんと胸が締め付けられるような気がしました。
大人になって、食べることの楽しさ、大切さを、いろいろな場面で感じてきました。
お金がなくて、約2日ぶりに食べたハンバーガー、夢が破れて八方ふさがりになったときに大家さんからいただいて食べたぶどう、不本意な形で会社を辞めたときに、ひとりで入った大衆酒場のなんこつ揚げなど、自分の人生において節目節目で食べたものがいろいろと思い出されます。
しかし、どんなシチュエーションでも、美味しいものは美味しく、きっと心の中では、あの、小学生の頃のニッコリとした顔で食事をしていたような気がします。
真性の馬鹿なのか、楽天家なのか、メンタルが強いのか分かりませんが、まあ、そういう性格が、どんなことがあっても腐らず、前を向いて歩くことができる、自分の生きる力になってくれていることは確実なんだろうなと思っています。
そう、食べることは本能ですが、美味しく食べられることは才能だと思います。
昔から、美味しそうに物を食べることにかけては天下一品と自負している私ですが、それも才能だと思います(笑)。誰も褒めてくれませんが(苦笑)。
まあ、楽しく生きる術をひとつ持っている、と解釈して、そういう風に育ててくれた親に感謝しなきゃな、と思っているところです。
ほんと、ご飯を前にした幸せな気持ち、なんといっても一番いい屈託のない笑顔なんでしょうね。
実は今、トイレにかの暮しの手帖社刊『戦争中の暮らしの記録』を置いて、一話ずつ少しずつ読み進めているところです。とても小さな活字なので、薄暗いトイレの灯ではつらい所でもあるのですが、食べ物にどれほど戦争中は困ったか大勢の人が書かれていて胸が詰まる思いです。あふれるほどの食材に囲まれた現在、なんとありがたいことかと思います。