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編集王子

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「裏」浅草ツアーに行って来たぞ

c0135618_23532172.jpg 観光客があまり訪れない、ツウな人のための浅草、というテーマで浅草を楽しんでまいりました。
 案内人は、浅草生まれ、古代から中世の浅草の歴史に関する著書もお持ちのM氏です。
 って、編集したのは私なんですけどね(^_^)。
 とにかく、本作りの最中から、へえ、そうだったの? とか、知らなかったあ、という浅草の歴史を新たに知って、毎日毎日、目からウロコ状態の日々でした。まあ、ここでひとつひとつ書くわけにはいかないので省略。とにかく、浅草は浅草寺、仲見世通り、そしてホッピー通りだけではないってことなのです(^_^)。
 友達と浅草で待ち合わせするときは、決まって雷門の前なのですが、今回は「裏」浅草、ってことで東武電車改札前で待ち合わせ。ここから北へ北へと参るのです。


c0135618_23532660.jpg 浅草で歌舞伎、とはあまり馴染みがないのですが、江戸時代、庶民の娯楽であった歌舞伎を取り締まるため、「郊外の」浅草に芝居小屋を移転させたという歴史があるのだそうです。それがここ、猿若町近辺。
 街名にはかすかにその名残りはあるものの、それを彷彿とさせる碑だとか、ちょっとした凸凹(タモリさんが身悶えして喜ぶような高低差的な)がないので、なかなか観光として確立しないのが残念ではあります。


c0135618_23533053.jpg 言問橋から見たスカイツリー。浅草からその全貌が拝める唯一(?)のスポットです。



c0135618_23534097.jpg 榎本武揚というと、あの五稜郭の戦い、函館戦争で亡くなったと勝手に思っていましたが、実はここ、浅草の保元寺で蟄居していたのだそうです。
 これは榎本一族のお墓。武揚の墓は文京区の吉祥寺という寺にあるようですが。


c0135618_23533572.jpg 浅草は、昔はいわゆる「被差別層」が暮らす街だった時期があるそうです。今でこそ普通の住宅地として静かな街並みになっていますが、その昔は、そういう層は革職人などをして生計を立てていて、いまでもその名残はあるようです。
 江戸時代、その被差別層を牛耳っていたのが、浅草(矢野)弾左衛門というお方。今では、歴史の片隅に追いやられてしまっている感のある人ですが、浅草の被差別層をまとめ、そうとうの財を築いたお方のようです。
 いわゆる、浅草の田中角栄みたいな人だったのかなあと、勝手に想像してしまいましたが。
 ただ、いわゆる浅草の「裏の」歴史という位置付けなのか、昨今はあまり大きく取り上げることはないようです。
 古地図を見ると、この辺り(と言ってもどの辺りか詳しく書けないんですけど。今戸から石浜にかけての一帯)はほとんど浅草弾左衛門の土地だったようです。しかしその名残りは見つけられず、学校にあった碑にもその事実は隠され、やがて歴史の闇に葬り去られる運命なのかもしれません。
 本龍寺にある浅草弾左衛門の墓を見てきましたが、本名の「矢野家之墓」となっており、それも区画整理したのか、こぢんまりと、小さな墓に弾左衛門さんは納まっておりました。

 この辺りの隅田川沿いには、戦後貧しい日雇い労働者たちと一緒に働き、その子どもたちのお世話をした「蟻の街のマリア」と呼ばれた女性(北原玲子さんという方)がいたそうです。これも、その痕跡をいまに伝えるものはなく、ん〜、こういうものこそ、後世に伝えていかなくてはならないのになあと思った次第。

c0135618_23534485.jpg こちらは平賀源内の墓です。なんてことない住宅地に、ぽつんと、しかし独立され、ちゃんと管理された風情で佇んでおりました。
 平賀源内といえば「日本のエジソン」と言われた発明家ですが、晩年、ふとしたことがきっかけで殺人を犯してしまい、どうも獄中死だったようです。全然知りませんでした。


c0135618_23534748.jpg 裏浅草といったら、「吉原」を語らずに通り過ぎることはできません。
 と言っても、昔の遊郭いまソープを一軒一軒調査するわけにはいきませんので(笑)、古地図と見比べながら、呼び込みの兄ちゃんをかわしながらのウォーキングです。
 昔は四方をぐるっとお堀で囲まれていたという吉原。吉原観音に寄付をしたという芳名旗(っていうの?のぼりみたいなヤツ)に家田荘子の名前を見つけ妙に納得したり(笑)、「吉原炎上」の舞台になったのはどこだろう? なんてトホホな疑問を先生にぶつけたりと、私なりに吉原を楽しませていただきました。


c0135618_23534950.jpg さて、表浅草に戻り、浅草呑みです。
 いつもの「ホッピー通り」で煮込み、「あげまん」で串揚げ、は封印して、ちょいと雰囲気のよろしい天ぷら屋さんでお食事です。
 浅草公会堂の近くにある、「中清」という天ぷら屋さん。
 なかなか入る機会のないお店ですが、いざ入ってみたらそれほど敷居は高くないのでホッとしました。
 っていうかゴチになって言う台詞じゃないか、すみませんです。

c0135618_2354145.jpgc0135618_23535879.jpgc0135618_23535638.jpgc0135618_23535362.jpg

 でも美味しかったあ。梅のゼリー寄せ(っていうのかなぁ)は特に上品で、程よく酸っぱく、程よく甘く、絶妙な逸品でございました。
 先生からは、古い浅草のことがたっぷり書かれた古書、そして夏目漱石の処女作の復刻版などをいただき、嬉しい限り。読まねば! です。

 これまで、キッチュで大衆的な浅草ばかりを楽しんできましたが、こうした、闇に葬り去られそうな、裏浅草のこともちょっとだけかじり、ますます浅草という街が好きになった一日でございました。また行きましょう。
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by yochy-1962 | 2016-07-09 00:31 | Tokyo迷子ウォーキング | Trackback | Comments(2)
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Commented at 2016-07-22 19:18
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by yochy-1962 at 2016-08-12 00:44
鍵コメントさま はっ、すっかりブログを放置してしまい、いま読みました。ごめんなさいごめんなさい! もう東京は行かれてしまいましたか。
浅草は、お決まりのコースは中国人に占拠されているので、こうした裏浅草がお勧めです。初音小路の「あげまん」にも行って欲しいけど、後悔するだろうから(なぜ?)やめときます。

by yochy-1962