2015年 08月 29日
阿久悠記念館
御茶ノ水の明治大学地下に、2011年に開設されたとのことでしたが、震災だったり、個人的にも大変なときでしたので、そういう情報が入ってきたとしても、行ってみようなどという心の余裕はなかったかもしれません。
で、無事、心に余裕ができた2015年夏、満を持して参上です。
思ったより狭いスペースではありながら、それこそ「所狭し」という感じで、阿久悠先生の業績を紹介していました。
故郷の淡路島から、大学進学という「合法的な家出」をして上京。うん、わかるわかる、オレもそんなもんだもんなあ(笑)。
その後、広告代理店時代に作詞家としてデビュー。それからの活躍は、昭和を生きて来た方々には説明するまでもなし、この方がいなかったら、「歌謡曲」の進化、特に「女性像」の進化はきっと10年は遅れていたに違いない、と思います。
耐え忍び、男から「選ばれる」存在でしかなかった昭和歌謡曲の中の女性像。それが、「私があなたを選ぶ」「自分自身が生き方を決める」という、新しい女性像を作り上げた作詞家は、阿久悠先生その人であったと思うのです。それは淳子ちゃんピンクレディーの歌の中に、如実に表れています。 まあ、それについては何度もここで書いて来たので、省略です(鼻息が荒くなってしもうた)。
ここには、作詞家として受賞したレコード大賞や歌謡大賞の盾やトロフィー、数え切れないほどの流行歌と著書の紹介があり、そして代表曲を集めたCDの試聴もでき、とても充実した内容だったと思います。
欲を言わせていただければ、TV「スター誕生」での、先生の、愛がありながらの辛辣な、出場者に対するコメント(ホント、あの番組は、いかにしてスターを夢見る子たちに現実を諭し、夢をあきらめさせる番組だったような気がします。その中で唯一、手放しで「いいですね、すぐに出したいですね」と絶賛したのは淳子ちゃん、そう桜田淳子さんだけでした)満載のシーンとか、その他、対談として出演したようなTV番組のビデオとか、先生が作詞して大ヒットした流行歌のビデオとかが見られればなおよかったなんて思ってしまいました。
なにせ、尾崎紀世彦の「また逢う日まで」を皮切りに、その後、都はるみ「北の宿から」、沢田研二「勝手にしやがれ」、ピンクレディー「UFO」と、作詞した曲が3年連続レコード大賞受賞。その間に桜田淳子岩崎宏美西城秀樹郷ひろみ八代亜紀石川さゆりなどのヒット曲もコンスタントに作っているのですから、あのころの阿久先生は、超人としか言えないような活躍をしていたのです。
しかし時は流れ、平成生まれのへなちょこ野郎たちは、「桜田淳子って誰?」というような、阿久先生の活躍も知りません。そして「半径1メートル以内の恋の歌」しか聞く機会がないのは、とても気の毒な限りです。ぜひここに来て、噛みしめるように阿久悠先生の詞を読んでほしいと思うばかりなのであります(また鼻息が荒くなって来た。はあはあ)。
「あの頃は、淳子より百恵の歌の方が好きだったけど、いま改めて聴いてみると、なんて淳子は意味深な、いい歌を歌ってきたんだって、唖然とするね」
つい最近、このように知人は言いました。それだけでなく、ちょっと聞いただけでは童謡のように聞こえるピンクレディーの詞に隠された、阿久先生の思いを想像してみると、なんてこの人は偉大だったんだろうと気付かされるのです。
えーと、興奮してどんどん突っ走ってしまいましたが(苦笑)、入場無料ですし、お近くにお寄りの際は、ぜひ訪れていただきたいと思います。そして、お金をとってもいいから、再び訪れたいと思わせるような企画を立ち上げていただいて、阿久悠フォーエバーの先陣を切っていただきたい、そう思うばかりなのであります。はあはあ。