2012年 08月 12日
32年ぶりの奇跡!
そして、その後のロサンゼルス五輪。決勝戦はきっと日本VS中国だと思っていたのが、予選で中国がアメリカに敗れるというハプニング(?)があり、組み合わせの結果、準決勝で日本は中国とあたり、敗戦。銅メダルに「終わった」のでした。
江上、三屋という世界最強のセンター陣を誇り、そして中田という天才セッターを擁し、郎平という「お化けエース」がいる中国には歯が立たなかったものの、アメリカには絶対的な自信を持っていた日本にとっては、これは不運なことでした。
そう、だからそのときの日本は、銅メダルという結果に「終わった」のでした。当時の選手達は相当がっかりし、銅メダルなんか「いらない」とまで言っていたのだとか。
だから今回の銅メダルは、28年前とは全然違う、「勝ち取った」、「悲願の」銅メダルだったということで、その輝きは以前とは全然比べ物にならないものだと思います。ロス五輪を知らないという若い人にとっても、ロス以降の日本の衰退、というより世界のレベルアップに圧倒され、どうしてもメダルまで手が届かなかった、その間の選手達にとっても、日本のお家芸復活は、きっと感慨深いものがあったに違いありません。
まさに「ありがとう」と、声を出して言いたいと思います。
ありがとう竹下! そして結婚おめでとう!(驚いちゃったけど)
で、私にとっても最近、「やっと見つけることができた!」という物件がありまして、それは、高校時代、ブラスバンド部の定期演奏会で演奏した、ある曲の「タイトル」がどうしても思い出せず、32年間も悶え苦しんでいたのでした。いきなり話がしょぼくなっちゃったんですけど。
いや、32年間、ずっとそればかり考え続け、歳を取って来たわけではありません(当たり前だ)。
しかし、昔のことを思い出すたびに、ぽっかりと空白になってしまったその一部分がどうしても気になってしまい、あげくの果てにそれが夢に出て来ることもたびたびありました。
残念ながら、いまでも付き合いのあるブラスバンド部の友人も「えーと、なんだっけ。フェスタ、って言ってたから、正式タイトルなんて、全然覚えてない」というへっぽこぶり(自分を棚に上げておりますが)。
そうこうするうちに、コンクールで演奏した課題曲のタイトルも忘れ、自由曲も忘れ、覚えているのは部室で原田真二の「タイム・トラベル」をひとり弾き語りなどしていたら「お前の声って演歌歌手みたいだな」と部員に言われた記憶だけ(苦笑)……。次から次へと忘れてしまっているこの体たらく。「悲しい記憶の数ばかり 飽和の量より増えたなら 忘れるよりほかないじゃありませんか〜〜〜(中島みゆき「傾斜」)」ってか〜。
しかし、あることがきっかけで、YouTubeの力を借り、コンクールの課題曲も、そう、32年間絶対に出て来なかった曲のタイトルも思い出すことができたのでした。
それがこちらの曲。Clifton Williamsの「Symphonic Dance No.3」という曲でした。
オレ、ずっと作曲はショースタコービッチで、番号も8だと思い込んでいたもんなあ。見つからないはずでした(苦笑)。
これ、結構有名な曲のようで、YouTubeにはたくさんの吹奏楽団の演奏がアップされています。
知らんかった〜。
とにかく、はらはら、どきどきする曲進行が最高で、最後の盛り上がり部分で、みんなとアンサンブルがぴったり合ったときなど、鳥肌がだーっと出て、まさにアドレナリン出まくり状態。そう、いつもは冷静沈着な真鍋監督が、銅メダル獲得後思わず「しびれる〜」と言った物件に相当するものと思われます(笑)。
とにかく今年の夏は、ロンドンの感動よりも、「32年ぶりの奇跡! ヨッチー曲名を思い出す夏」ということで、自分史に書き込むことになりそうです(笑)。
曲名はもともと正確に覚えられていなかったから思い出せなかったのでしょうね。・・・私は・・・(高校時代は混声合唱でしたが)小学校時代に器楽クラブに入っていて、最初に演奏したのはタイケ作曲の「旧友」というマーチでした。いまだに時折ニュース番組のバックなどで出会うと自分のパートを思い出します。
8分の5という、ややこしいリズムでした。