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編集王子

newyochy.exblog.jp

Thank you !!!

 もうこれについては多くの方が語り、論議された案件で、いまさら、という感じなのですが、ちょっと前に途中まで書いたネタで、せっかくここまで書いたんでもったいなくて、夏休みに入ってちょっと時間ができたのをきっかけに公開させていただきます。


 そう、最近さかんに流れる「Yモバイル」のCMについてです。

 若い方はふうん、という感じで流してしまうCMなのかもしれませんが、バブルと「寝た」というほどではありませんが(いや、ほとんど恩恵は受けていませんよ)、とりあえずバブル期のどんちゃん騒ぎぶりを知っている世代からしたら、あのCM、「ざっくり」し過ぎていて、違うだろ、という場面が多過ぎるのです。


 1980年(代)と1980円をかけて作ったCMだと思いますが、まず、1980年は「バブル期」ではありません。

 ジュリアナとかゴールドなどのディスコで、自分のスタイルを顧みず、時代が時代なら逮捕されちゃうだろみたいな、確実にお前露出狂だろみたいな格好で、そしてホントは片桐はいりみたいなエラのある顔を「ワンレン」で隠し、髪の毛をかきあげるとどこまでもどこまでも顔、というミステリーゾーン状態の女子が量産されていた時代は、昭和も押し詰まった1980年代末期。どちらかといったら1990年、といっても差し支えない時代なのです。

 だから、1980円を1980年で表現しようとするのなら、本当は「竹の子族」あたりをフィーチャーするのが正解なのであって、バブルとからめるのは間違いなのです。


 そしてもうひとつ、田中美奈子演じるバブル女子が「ナウい〜」と決めゼリフのように言うのも間違い。この言葉は1970年代の終わりに流行し、あっという間に死語になり、80年代にこの言葉を使う人など皆無、そんな言葉を使ったら「どこのカッペ?」と白い目で見られること確実、だったはずです。

 ここで唯一の正解は「なめねこ」で、確かにあれは1980年を象徴する流行りものではありましたがね。


 まあ、コマーシャル作りのために多少の無理は仕方ないと思うのですが、ここまでごちゃごちゃな、リアルなバブル世代の総ツッコミが聞こえそうなものを涼しい顔で作られたら、だまってはいられません。お前、バブル時代を全然知らねーだろ、と首根っこでもとっ捕まえて、延々と説教でもしてやりたくなります。


 でも、制作が30代、40代前半の方だったら、リアルにその時代を生きていないのでしょう、仕方がありません。雑誌で「ピンクレディーがUFOでレコード大賞を取った年のライバルは横須賀ストーリーの山口百恵」とかいう記事を読んでも(プレイバックPart2だよ)、テレビで桜田淳子を紹介するときに「当時のアイドルにしては背が高かったのでグラビアにもよく登場した」とか言っていても(それほど高くないよ浅野ゆう子かよ)、ぐっと我慢するしかないのが、もう旬を過ぎた(苦笑)我々50代、なのですね。


 結局のところ、各企業で中心になってものを作り上げる層の中心が、明らかに私世代から外れてきている、ということなのでしょう。

 自分が30代、40代の頃は、「世界は自分を中心に回っている」と思って憚らないほど、テレビで流れる音楽も、リバイバルで流行るものも、んー分かる分かると肩で風切って歩いていたのですがね。いまは、懐かしい〜とか言われながら提示されるものですらピンと来ないのが、都落ち感たっぷりで、呆然と立ちすくむ2016年の夏を迎えている私です。


 で、会社に出入りしている業者さんが、ふと「僕、英語の筆記体って読めないんです」と宣ったのでありました(話は突然飛びましたが)。

 彼は現在27歳、いわゆる「ゆとり世代」で、英語の授業では筆記体を教えてもらわなかったと言うのです。

 そういえば、円周率がほぼ3とか、そんなふうに教えることになったとかいうニュースを見て、へえーそうなの、なんて他人事のように思っていましたが、そういう方々がすでに社会の中で堂々と働いている時代なのですね。いずれその世代の人達が中心になって発言権を得たとき、世の中はどうなっていくんだろう、とんでもなく薄っぺらい文化になっていたりはしないかと思ってしまいます。もうその頃は私など堂々高齢者入りでしょうから関係ありませんが、ちょっと心配になったりもしてしまいました。

 すでにJポップの「詞」の世界は、一部を除き、ホント薄っぺらいですもんねえ。



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# by yochy-1962 | 2016-08-11 23:39 | ひとりごと | Trackback | Comments(2)
c0135618_23532172.jpg 観光客があまり訪れない、ツウな人のための浅草、というテーマで浅草を楽しんでまいりました。
 案内人は、浅草生まれ、古代から中世の浅草の歴史に関する著書もお持ちのM氏です。
 って、編集したのは私なんですけどね(^_^)。
 とにかく、本作りの最中から、へえ、そうだったの? とか、知らなかったあ、という浅草の歴史を新たに知って、毎日毎日、目からウロコ状態の日々でした。まあ、ここでひとつひとつ書くわけにはいかないので省略。とにかく、浅草は浅草寺、仲見世通り、そしてホッピー通りだけではないってことなのです(^_^)。
 友達と浅草で待ち合わせするときは、決まって雷門の前なのですが、今回は「裏」浅草、ってことで東武電車改札前で待ち合わせ。ここから北へ北へと参るのです。


c0135618_23532660.jpg 浅草で歌舞伎、とはあまり馴染みがないのですが、江戸時代、庶民の娯楽であった歌舞伎を取り締まるため、「郊外の」浅草に芝居小屋を移転させたという歴史があるのだそうです。それがここ、猿若町近辺。
 街名にはかすかにその名残りはあるものの、それを彷彿とさせる碑だとか、ちょっとした凸凹(タモリさんが身悶えして喜ぶような高低差的な)がないので、なかなか観光として確立しないのが残念ではあります。


c0135618_23533053.jpg 言問橋から見たスカイツリー。浅草からその全貌が拝める唯一(?)のスポットです。



c0135618_23534097.jpg 榎本武揚というと、あの五稜郭の戦い、函館戦争で亡くなったと勝手に思っていましたが、実はここ、浅草の保元寺で蟄居していたのだそうです。
 これは榎本一族のお墓。武揚の墓は文京区の吉祥寺という寺にあるようですが。


c0135618_23533572.jpg 浅草は、昔はいわゆる「被差別層」が暮らす街だった時期があるそうです。今でこそ普通の住宅地として静かな街並みになっていますが、その昔は、そういう層は革職人などをして生計を立てていて、いまでもその名残はあるようです。
 江戸時代、その被差別層を牛耳っていたのが、浅草(矢野)弾左衛門というお方。今では、歴史の片隅に追いやられてしまっている感のある人ですが、浅草の被差別層をまとめ、そうとうの財を築いたお方のようです。
 いわゆる、浅草の田中角栄みたいな人だったのかなあと、勝手に想像してしまいましたが。
 ただ、いわゆる浅草の「裏の」歴史という位置付けなのか、昨今はあまり大きく取り上げることはないようです。
 古地図を見ると、この辺り(と言ってもどの辺りか詳しく書けないんですけど。今戸から石浜にかけての一帯)はほとんど浅草弾左衛門の土地だったようです。しかしその名残りは見つけられず、学校にあった碑にもその事実は隠され、やがて歴史の闇に葬り去られる運命なのかもしれません。
 本龍寺にある浅草弾左衛門の墓を見てきましたが、本名の「矢野家之墓」となっており、それも区画整理したのか、こぢんまりと、小さな墓に弾左衛門さんは納まっておりました。

 この辺りの隅田川沿いには、戦後貧しい日雇い労働者たちと一緒に働き、その子どもたちのお世話をした「蟻の街のマリア」と呼ばれた女性(北原玲子さんという方)がいたそうです。これも、その痕跡をいまに伝えるものはなく、ん〜、こういうものこそ、後世に伝えていかなくてはならないのになあと思った次第。

c0135618_23534485.jpg こちらは平賀源内の墓です。なんてことない住宅地に、ぽつんと、しかし独立され、ちゃんと管理された風情で佇んでおりました。
 平賀源内といえば「日本のエジソン」と言われた発明家ですが、晩年、ふとしたことがきっかけで殺人を犯してしまい、どうも獄中死だったようです。全然知りませんでした。


c0135618_23534748.jpg 裏浅草といったら、「吉原」を語らずに通り過ぎることはできません。
 と言っても、昔の遊郭いまソープを一軒一軒調査するわけにはいきませんので(笑)、古地図と見比べながら、呼び込みの兄ちゃんをかわしながらのウォーキングです。
 昔は四方をぐるっとお堀で囲まれていたという吉原。吉原観音に寄付をしたという芳名旗(っていうの?のぼりみたいなヤツ)に家田荘子の名前を見つけ妙に納得したり(笑)、「吉原炎上」の舞台になったのはどこだろう? なんてトホホな疑問を先生にぶつけたりと、私なりに吉原を楽しませていただきました。


c0135618_23534950.jpg さて、表浅草に戻り、浅草呑みです。
 いつもの「ホッピー通り」で煮込み、「あげまん」で串揚げ、は封印して、ちょいと雰囲気のよろしい天ぷら屋さんでお食事です。
 浅草公会堂の近くにある、「中清」という天ぷら屋さん。
 なかなか入る機会のないお店ですが、いざ入ってみたらそれほど敷居は高くないのでホッとしました。
 っていうかゴチになって言う台詞じゃないか、すみませんです。

c0135618_2354145.jpgc0135618_23535879.jpgc0135618_23535638.jpgc0135618_23535362.jpg

 でも美味しかったあ。梅のゼリー寄せ(っていうのかなぁ)は特に上品で、程よく酸っぱく、程よく甘く、絶妙な逸品でございました。
 先生からは、古い浅草のことがたっぷり書かれた古書、そして夏目漱石の処女作の復刻版などをいただき、嬉しい限り。読まねば! です。

 これまで、キッチュで大衆的な浅草ばかりを楽しんできましたが、こうした、闇に葬り去られそうな、裏浅草のこともちょっとだけかじり、ますます浅草という街が好きになった一日でございました。また行きましょう。
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# by yochy-1962 | 2016-07-09 00:31 | Tokyo迷子ウォーキング | Trackback | Comments(2)
 先日、駅の改札あたりで、高校生たちが「バイビー」なんて挨拶を交わしているのに遭遇したのですが、ああ、もう死語だとばっかり思っていた言葉も、どういうきっかけか分かりませんがふとしたことで復活し、そうやって言葉は、流行は繰り返していくのかなと思ったのでした。

 しかし、そもそもこのバイビーなる言葉、どういうきっかけで生まれた言葉かご存知でしょうか。
 50代以下の方は知らないかもしれませんが、正解は、「伊丹幸雄のウィスパーカード」なのです。
 結構みなさんご存知かと思ったのですが、案外、同年齢の友人でも知らない方が多く、40代前半以下の方に至っては、「イタミサチオって誰? ウィスパーカードってなに?」なんていう始末。

 ネットで検索しても、「サチオ」あるいは「ウィスパーカード」についてはいろいろな方が詳しく解説しているのですが、「じつはバイビーという言葉はサチオが!」というところまで言及しているサイトはなかなか見つけられません。
 これはいけません。昭和の文化(ってほどじゃないか、世相といったほうがいいか)を大切にし、継承していくのが我々、バブルと寝た世代(私は決して恩恵は受けてませんがね)の責務なのであります。

 時は1980年。百恵ちゃん、王貞治さんの引退に代わるように、「ビートたけしのオールナイトニッポン」が始まり、あっという間に、我々「勉強してるふりでラジオにかじりついてる」バカ学生のハートをわしづかみにしたのでした。
 特に、ちょっと前のB級男性アイドルをおちょくる「伊丹幸雄コーナー」は大人気でした。
 これは、伊丹幸雄を始めとする、70年代を彗星のごとく駆け抜けていったB級アイドルを懐かしみ、愛でようという、いや、どちらかといったら徹底的に笑ってしまおうというコーナー。あっ、伊丹幸雄コーナーというタイトルは後付けだったかと思います(こんなコーナーでした。懐かし〜、っていうか、当時こんなので笑っていたんだあと、今では驚き)。

 伊丹幸雄さんとは、郷ひろみ、西城秀樹などと同時期に、天下のナベプロ、CBSソニーからデビューしたアイドルで、一時期はひろみ、ヒデキと肩を並べるほどの人気を誇っていたのにあっという間に失速、あの人は今状態になってしまったお方です。
 そんなサチオのウィスパーカード(あっ、ウィスパーカードとは、オモテ面がブロマイド、ウラ面がソノシートレコードになっていて、当時のアイドルなら誰でも作っていたアイテム。ええっ?ソノシートも知らない? もうめんどくさい〜そこらへんは自分で調べてちょ)が面白い、とたけしのオールナイトニッポンで話題になりまして、そうこうするうちに、そうした「消えたアイドル」に再びスポットライトが当たり、サチオは「オレたちひょうきん族」、城みちるさんは「風雲たけし城」にレギュラー出演するようになったのでした(これがサチオの「青い麦」ですようっ)。

 そう、話は「バイビーとサチオ」、でした。
 で、ウィスパーカードで、「お父さんは親切な人」とか脱力系の話を延々したサチオが最後、ひとこと「じゃあね、バイビー!」とのたまったのでした。
 これに「バイビーだってよ、バイビー!」とたけしは大ウケ。以降、サチオはひょうきん族のレギュラーに、たけしはどの番組でもバイビーを駆使し、それから「バイビー」は瞬く間に番組の、いや日本中の流行語になったのでした。それがバイビーの語源、なのです。

 ああ、高田みづえは「涙のジルバ」という曲で、バイビーなんて言葉が入った歌を歌っていましたね。さすが、元祖横取り歌手、ですね(^_^)。

 で、あっという間に流行語になり、あっという間に死語となったこの言葉なのですが、また脚光を浴びているのは嬉しいことです。って、ホントにこの言葉が昨今の高校生の間で「ナウい」言葉として脚光を浴びているのかどうかはわかりませんがね。すっかり耳が遠くなって、幻をも見るようになった、恍惚の前期高齢者が見た景色だったのかもしれませんがね(苦笑)。

 それで、久しぶりにサチオの「青い麦」を聴いてみたのですが、最後のフレーズ、ずっと「田舎が〜似合うよ〜」と歌っているものかと思っていたのですが、どうも「日向が〜似合うよ〜」が正しいようですね。
 40年かけて、やっと正解を知りました(^_^)。
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# by yochy-1962 | 2016-06-21 20:42 | 映画・舞台・テレビ | Trackback | Comments(0)

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